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2008年1月30日 (水)

青年ヒトラーとウィーン

    アドルフ・ヒトラー(1889-1945)は1889年4月20日、ドイツ国境にあるオーストリアのブラウナウで生まれた。父アロイスが税関を退職してからは、ドナウ河畔のリンツ付近に移った。小学校卒業後、この地の実業学校に入ったが、4年を修了しないで、1905年、退学した。ヒトラーはウィーンで画家を志し、1907年秋にウィーン造形美術大学絵画科を受験するが失敗、翌年も不合格になっている。ヒトラーはウィーンで1913年5月24日まで、定職ももたず貧しい青春時代を過ごした。酒もタバコも飲まず、女性にも近づかなかった。1908年から約10年間に2000枚の絵を描いたといわれる。思想的には反ユダヤ主義で知られたウィーン市長カール・ルエーガー(1849-1910)から多大な感化を受けたといわれる。1914年、ヒトラーは第一次世界大戦が始まると志願兵としてドイツ帝国軍隊に入隊した。24年後の1938年3月13日、ヒトラーはかつて画家志望を拒んだウィーンの街に無血進駐した。ウィーン時代を振り返ってこう言った。「ウィーンはもっとも基礎的な学校だった」と。

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