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2008年1月30日 (水)

戦艦ドレッドノート

    アメリカの海軍理論家アルフレッド・セイヤ・マハン(1840-1914)は、1890年「歴史に及ぼした海上権力の影響」を著わした。そこで「海を制するものは世界を制する」の立場から、敵海軍を撃滅できる大鑑巨砲の海軍をもつことこそ、一国の興廃のもとであると説いた。この思想は植民地獲得をめざす列強に大きな影響を与えた。

    ドイツとの建艦競走に突入したイギリスは、1906年、単一口径主砲を搭載した当時世界最大の戦艦ドレッドノートを建造した。主要兵装は30cm砲10門で、5基の連装砲塔に収められ、うち3基は艦首に2基、艦尾に1基、中心線上に配置された。残り2基は中央部の上部構造部の両側に対照的に配置されている。本艦は、イギリス戦艦で最初にタービン推進機械を採用し、スクリュー4軸を用いていた。

    このイギリス海軍自慢の戦艦ドレッドノートにイタズラをした変わり者の大学生たちがいた。1910年、イギリス海軍に「エチオピア皇帝一行が戦艦を見学するので歓迎せよ」という偽電報が届く。海軍は突然の訪問に大慌てで用意し、軍楽隊に儀杖兵を準備して、ウェイマス港で迎えた。かくしてエチオピア皇帝と皇女ら4名は特別待遇で戦艦ドレッドノートに乗船し艦内を見学してまわった。後日、新聞社に投書があった。先日のエチオピア一行はケンブリッジ大学生によるイタズラである旨が書かれていた。仮装したブルームズ・ベリーのグループ、ウイリアム・ホーレス・ヴェア・コール(1879-1938)、皇帝に扮したのは友人のバクストン、皇女はバージニア・ウルフらであった。

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