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2008年1月14日 (月)

不正牛乳事件

    子どもの頃、隣が牛乳屋だった。ガチャガチャガチャ、牛乳びんがぶっかる音で目がさめた。昭和30年代までは映画「ダニー・ケイの牛乳屋」「牛乳屋フランキー」のように、町の牛乳屋さんは人気者だった。

    日本で牛鍋や牛乳の飲食をする習慣は明治の文明開化によってであることは、知られている。それまで牛乳の飲食の習慣がなかったのは、仏教の教えに起因するものであろう。そして牛乳屋は文明開化の新商売となり、禄を失った士族の転換事業となった。前田留吉は明治3年に東京で牧場を開設して牛乳の販売を開始した。(吉幾三の歌「おらぁ東京でベコ飼うだ♪」は本当の話だった)前田留吉以外に、この時期、中川嘉兵衛(1817-1897)、下岡蓮杖(1823-1914)なども牛乳製造を試みている。

    明治初期の牛乳は殺菌をしていないので衛生状態は悪い。森鴎外は「東京市中ニ販売セル牛乳中ノ牛糞ニ就イテ」という論文を明治25年に発表している。牛乳から牛糞の大腸菌が検出されたのだ。明治33年には愛光舎(角倉賀造)がアメリカで殺菌法を学び牛乳の蒸留殺菌を行い「減菌牛乳」を販売した。このころはあたたかいままの生乳で配達していた。大正の終わりから、低温殺菌が導入された。昭和2年5月、東京で腐敗した牛乳販売事件が起こり、社会問題となった。炭疽病にかかった牛からの乳が原因であった。この騒動で東京の牛乳の消費量は半分に減り、3分の1の業者が転廃業した。不正牛乳事件は、公衆衛生関係者の汚職にまで発展して、乳牛界は大資本への統合を促すことになった。

   昭和2年10月「牛乳業取締規則施行細則」(翌年施行)により牛乳の殺菌処理が法律で義務づけられ、牛乳は冷やして配達されるようになった。

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