「にごりえ」お力
樋口一葉が下谷区龍泉寺町から、本郷区丸山福山町へ引っ越してきたのは、明治27年5月1日のことであった。この界隈は新開地で、それにつきものの銘酒屋が立ち並んでいる。
「おい木村さん信さん寄ってお出でよ、お寄りといったら寄ってもいいではないか。また素通りで二葉屋へ行く気だろう」という、客ひきの場面からはじまる一葉の名作「にごりえ」は、ここ丸山福山町を舞台として書かれ、明治28年9月「文芸倶楽部」に発表された。新開地の「菊の井」一番の売れっ子・お力。銘酒屋というのは名ばかりで、実は売春窟である。お力には、結城朝之助というお金持ちで男前の客ができた。仲間うちでは、ゆくすえは二人で所帯をもつのではと噂もあった。しかし、お力にはそれ以前に蒲団屋の源七という男がいた。お力に入れ込んだことで、没落し、いまでは妻のお初と太吉郎の三人が貧乏長屋で苦しい生活をおくっている。源七はいまでもお力への未練を断ち切れないでいた。ある日、お初は源七と諍いになり、子どもを連れて家を出た。源七は包丁をもってお力を追い回し、神社のそばで、無理心中をする。
西洋には「ファム・ファタール」という言葉が19世紀末からあり、男を破滅にする魔性の女のことをいう。映画・小説などでは主に男性の側からみている作品が多い。「にごりえ」は同じ19世紀末ではあるが、女性の側からみた、人生の悲哀と貧しさが描かれている。日本でも獏連、毒婦、白鬼などと昔から魔性の女をさす言葉は多いが、ヒロインのお力はどれにも当てはまらない哀れな女である。
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