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2008年1月11日 (金)

泉大助と「明るいナショナル」

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    わが家に初めて白黒テレビが来たのは昭和35年のことであった。その日のことを鮮明に覚えているのは、よほど子どもにとってテレビという存在が、革命的な出来事だからであろう。視覚に訴える映像の力の大きさを思い知らされる。電器屋が届けてくれた新しいテレビはシャープだった。ちょうど「ララミー牧場」がラストで淀川長治の「西部こぼれ話」が映されていた。ナショナルキッドが放送開始されたのはまもなくのことだった。(昭和35年8月):つまりケペルはウルトラマンはほとんど見ていない。かぶりものヒーローといえばナショナルキッドなのだ。原作は月刊漫画誌「ぼくら」に連載された一峰大二の漫画。ナショナルキッドは、当時、新東宝の宇津井健のスパージャイアンツが子どもたちに大人気だったので、そのテレビ版として東映が企画したものだそうで、タイトルは「スーパーキッド」とする予定であった。単独スポンサーの松下電器の要請により、「ナショナルキッド」と変更された。子ども向けヒーローの名前に会社名が露骨につくところが今思えばスゴイ時代である思うが、あの頃は何の抵抗感もなく主題歌「雲か嵐か雷光(いかづち)か」と歌っていた。「いかづち」とはナショナルのロゴマークであることも今になって気づいた。オープニング映像にはナショナルの電飾広告塔が聳え、バックに空を飛ぶナショナルキッドが見える。光線銃はナショナルの懐中電灯のように見える。このようにマーチャンダイジングが徹底して行われた。電気屋の店頭にはナショナル坊やの人形が置かれ、テレビでは「ナショナルプライスクイズ、ズバリ!当てましょう」が始まった。(昭和36年)泉大助というあまり個性のない背の高い平凡な感じのおじさんが司会で「内輪で一番近い方は」と毎度のように言うので流行語となった。解答者は一般人だったが、ゲストタレントの時もあり、ノーヒントでズバリ当てて100万円相当のナショナル電化製品を手にした有名人もいたと思うが、それが誰であったか思い出せない。子ども心にうらやましいと思い、消費欲をかきたたせる趣向であった。三木鶏郎の「明るいナショナル」というテーマソングもこの番組によって親しんだ。

    昨日、松下電器産業は会社名を「パナソニック」に統一する方針を発表した。さすがは大企業の話題だけにメディアはどことも大きく取り扱っている。社名変更の問題は、松下幸之助(1894-1989)の生前からあったという。朝日新聞によると、病院に入っていた松下幸之助に「もうナショナルは古い。ブランドをパナソニックに統一してはどうか」と打診したところ、幸之助は何も言わずに顔をぶるぶる震わせて憤り、この役員は青い顔をして病院を後にしたという。以後、20年間、松下電器では、ブランド名の統一の話はタブーであったという。このエピソードは、昭和産業史の一つのエピソードとして後世に残るものであろう。

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