ナヒモフ号の金塊を探せ
昭和8年、「対馬沖に沈むロシア軍艦ナヒモフ号の金塊を引き揚げる」と称して投資を勧誘する会社が乱立、新聞広告が載せられ大きな話題となった。だが「一口5円10円の投資が千円の配当に」という甘言にだまされた被害者も続出した。
アドミラル・ナヒモフ号はバルチック艦隊の装甲巡洋艦で、大量の金塊を積んだまま明治38年5月28日の日本海海戦で沈没し、現在も対馬沖琴崎沖南南東9.6キロのところに沈んでいるという話であった。この引き上げ作業には片岡弓八があたるとあって信用もあり、興味をよんだ。片岡は潜水器を改良して大正13年に海底に沈んでいた八坂丸の時価数十億円の金塊の引き揚げに成功した実績があった。ナヒモフ号金塊引揚げ話はもちろん本気で当てにした者は少なく騒動だけに終わった。ところが、昭和55年9月、日本船舶振興会の笹川良一会長は資金提供を申し出た。日本海洋開発は対馬沖水深93メートルの回収作業を行った。ジノビエフ駐日ソ連大使は外務省にナヒモフ号はソ連の所有であると申し入れをしたが、笹川会長は北方領土と引き換えならナヒモフ号の財宝をソ連に渡してもいいと声明をだした。10月20日、外務省はソ連の所有権を認めないと通知。しかし、ナヒモフ号からはプラチナのインゴッド(長さ29cm、幅8cm、高さ4cm、重さ10キロ)しか発見できなかった。
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