源宗于朝臣
山里は冬ぞさびしさまさりける
人目も草もかれぬと思へば
[通釈]山里では、都とはちがって、冬はいちだんと寂しさがまさって感じられることである。観るものもないので、訪ねる人の姿も少なくなり、目をなぐさめた草も枯れてしまうと思うので。
源宗于(みなもとのむねゆき、生年未詳-939)は光孝天皇の皇子是忠親王の子。右京太夫正四位下、兵部大輔となり、天慶2年没。和歌にすぐれ、寛平御時后宮歌合の作者であり、三十六歌仙の一人で古今・後撰を始め勅撰集には多くの作がある。「大和物語」には、監命婦・南院の君達と歌をよみあい、官位の進まないのを嘆いた歌などが見える。
この歌の「人目」がかれるとはあたりに人の姿を見かけなくなったという本来の意味だけでなく、待ち人もまた来ない、と解釈すれば、どこか艶なる余情もあるということになる。
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