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2008年1月11日 (金)

義を重んじる関羽雲長

   関羽は河東・解(山西省運城県の人)。後漢末に、劉備に従い、張飛とともに劉備を常に守り、もりたてた。200年、劉備が徐州で反曹操の兵を挙げ、関羽は下邳の守りをまかされた。しかし、曹操の攻撃にあって劉備は袁紹のもとに逃れ、関羽は生け捕りにされてしまった。曹操は関羽をすっかり気に入ってしまって自分の部下にしようとしたが、関羽は劉備との義を重んじて、これを断わった。そして、同年、曹操と袁紹が白馬で戦いを交えると、関羽は袁紹の将軍顔良と文醜を斬り、曹操への義をはたしたうえで、五つの関を破り、袁紹陣営の劉備のもとに帰った。

▼関羽の像(原致遠筆)

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