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2008年1月 2日 (水)

昭和の精神史としての「父の鎮魂歌」

    小泉信三(1888-1966)の一人息子・信吉は、大正7年に生れ、慶応を卒業し、海軍士官になり、昭和17年10月22日、特設砲艦「八海山丸」に乗艦し南太平洋沖にて戦死した。享年25歳。山田太一脚本のドラマ「父の鎮魂歌」は小泉信三の著書「海軍主計大尉小泉信吉」を原作に東芝日曜劇場ドキュメンタリードラマとして平成4年に放送された。父親・信三のイメージを大切にしたいという小泉家の要望で、演ずる杉浦直樹は終始後ろ姿で登場する。

    昭和17年2月、重巡洋艦「那智」は南方攻略作戦支援任務のためスラバヤ沖海戦に参加した。小泉信吉(杉浦直樹)は初任務につく信吉(志村東吾)に次のような手紙を書く。

    「君の出征に臨んで言って置く。吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何より誇りとしている。僕は若し生れ替わって妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない」

   信吉の人柄は、自由闊達で、父・母(冨司純子)を尊敬し、二人の妹(有森也美、美栞了・旧芸名・小柴香織)を慈しみ、常に穏やかで寡黙の人だった。友人から武田信玄といわれていた。戦前期の昭和をドラマ化すると、当時の日本軍国主義を批判し、美化と誇張が目立つものが大半である。しかしこの「父の鎮魂歌」は、当時の限られた状況のなかで、ごく自然に父親の息子を偲ぶ心情がドキュメンタリードラマ風に仕上がっている。進行役に西田敏行、評論家・桶谷秀昭も解説者として登場。

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