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2007年12月16日 (日)

山田吾一と「風来坊先生」

    NHKのデレビドラマ「事件記者」(昭和33年)でガンさんこと岩見記者役でお茶の間の人気者となった山田吾一は、その後も「サラリーマン出世作戦」「田舎教師」「堂々たる人生」などでテレビの主役級スターだった。とくに印象に残るのは昭和39年の「風来坊先生」である。一の木真弓、高梨木聖(たかなしこなみ)などの女生徒も可愛かった。主題歌はとくにケペルのお気に入りで、いまでもよく歌う。ただし歌詞はいつもの如くうろ覚えである。ネットで調べると、なんとレコードもでていたし、CD化されているという。「青春の夢のせて」作詞:秋元近史、作曲:広瀬健次郎、歌手:手塚しげお。あの「矢車剣之介」やスリー・ファンキーズの一員だった手塚しげお(1942-2004)だ。これまで知らないで歌っていた。「青春の夢のせて」が歌謡曲の名曲であることは、「将棋駒師江仙」の「私のベストテン」で第1位に選んでいることからもわかる。作詞は「シャボン玉ホリデー」のディレクターの秋元近史。彼の作詞にはザ・ピーナッツの「こっちを向いて」「二人だけの夜」もある。

    この「青春の夢のせて」は思いっきり大声を出して歌うとスカットするような、さわやな曲なのだ。ここに歌詞をのせるが、間違っているかもしれません。

     青春の夢のせて

 若い血潮 燃やせ命の限り

 男ごころは 一筋に

 ゆくぞ 男なら 胸張って

 白い雲の 溢れくる

 あの果てまで

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コメント

山田 吾一さんは大好きな俳優の一人です。特に風来坊先生の番組が好きだったのを覚えています。近況が非常に気になっています。

「TVスター名鑑2009」を見ると、現在も山田吾一さんは「キッパリ!!」に出演され、ご活躍中です。残念ながら、番組は出演者の加勢大周が逮捕されたため、第2シリーズは打ち切りとなりました。でも山田吾一さん(75歳)は宇津井健さん(77歳)と並んでテレビ界の重鎮ですね。

山田吾一の「風来坊先生」、探していました。
20年近くになりますが、「初のTV学園ドラマは夏木陽介だ」と言い張る人がいて些細な争いがあったことを思い出しました。
私は山田吾一だと思っていたのですが題名など思い出せず説明できませんでした。
オープニングは生徒の登校シーンで教師役の山田吾一が自転車で生徒に声を掛けていく様子だったと思います。
違っていたらごめんなさい。
いずれにしても懐かしく思い出しました。
ちなみに、日本の文学史上初の学園ドラマは夏目漱石の「ぼっちゃん」でしょうか。

おたよりありがとうございます。学園ドラマのルーツは、やはり「坊ちゃん」でしょうね。これまで5度映画化されていますが、なぜか大ヒットしてません。宇留木浩、池部良、南原宏治、坂本九、中村雅俊です。テレビで学園物といえば、もちろん夏木陽介の「青春とはなんだ」ですが、その前年の山田吾一「風来坊先生」もよかったですよね。その前年の昭和37年に地味で真面目なドラマですが、小笠原良知の「せんせい」(TBS)があり、わが家では見てました。

私も、この歌は印象深く記憶に刻まれています。

山田吾一さんの「風来坊先生」私も大好きでした。
初めてみる学園物ドラマは、姉と二人毎回楽しみにしていました。
以前「風来坊先生」をネットで探しましたが、ヒットせず、もう誰も覚えていないのかと寂しく感じておりました。
松山省三さん(松山政路)も出ていたように思います。
懐かしのフィルムなどでぜひ山田吾一さんの懐かしい姿を拝見したいですね。

昭和39年4月から翌年の1月1月まで、日本テレビ系列で、放送されていました。私は小学校6年生で、東京オリンピックの放送がありましたときは、夕方に放送されていました。原作は「風来先生][風来日記」で、作者は白川渥(本名・白川正美=
戦争中に芥川賞の候補となりましたが、戦時には発表できない、ということで、落され、戦後は通俗小説を書いていました。原作の舞台でした「明道高校=鳥取西高校」などで教鞭をとり、最後は神戸市の教育長として、体調が悪いにも拘わらず、公式行事に出席し、倒れ、鬼籍にはいられました。昭和60年頃だったと思います)。原作では、主人公の白戸勉吉と教え子の新庄雪江の恋愛小説でした。

私は、高校1年生の時、近所の本屋で、たまたま原作の「風来先生」「風来日記」を見つけ、徹夜して読みました。高校3年生の時、NHKの銀河テレビ(?)でも放送していました。主人公の白戸勉吉役の顔は覚えていますが、名前は忘れてしまいました。ヒロインの新庄雪江役は、服部妙子でした。映画でもやっていたようです。

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