坂下門外の変と大橋訥庵
2008年の大河ドラマ「篤姫」。宮崎あおい演ずる篤姫(1835-1883)は、第13代将軍家定(堺雅人)に嫁したが、家定は病弱のため約1年半後に亡くなる。篤姫はわずか23歳で落飾して「天璋院」と称した。ドラマの前半の山場はやはり孝明天皇の妹・和宮(堀北真希)の降嫁問題が中心となるだろう。和宮は有栖川宮熾仁親王との婚約が成立していたが、井伊直弼により関東降嫁が計画され、桜田門外の変でしばらく中断ののち、公武合体政策の犠牲となって江戸へ下向。文久2年2月、第14代将軍徳川家茂(松田翔太)と婚儀の式をあげた。老中安藤信正(1819-1871)は尊攘派に非難され、江戸城坂下門外で水戸藩を脱藩した浪士らに襲われ傷つき、同年4月老中を辞した。
この坂下門外の変の首謀者として知られる攘夷派の儒学者が大橋訥庵(1816-1862)である。安藤を襲撃した者の懐には、次のような内容の斬奸状が入っていた。「安藤信正は、和宮を人質とし、通商条約の勅許を獲得しようとするだけにとどまらず、孝明天皇を退位に追い込もうと策謀を巡らしている」この斬奸状を起草したのが大橋朴庵である。だが、大橋自身は、事件の黒幕として吟味を受けたが、証拠不十分により釈放され、身柄を宇都宮藩に移されたのち、幽閉中に病没した。享年46歳。
ちなみに大河ドラマの和宮は、「翔ぶが如く」(平成2年)では鈴木京香、「徳川慶喜」(平成10年)では小橋めぐみが演じている。つまり「篤姫」(平成20年)の堀北真希は第三の和宮となる。
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