聖フランチェスコ
フランチェスコ修道会の創設者、アッシジのフランチェスコ(1181-1226)は、本名をジョヴァンニ・ベルナルドーネという。父ピエトロはアッシジの裕福な織物商人で、旅をしながら少しばかりのフランス語を習いおぼえていた。息子のほうは人前でひけらかすほどにフランス語を学び「フランチェスコ」(フランス人)と渾名された。
若いころのフランチェスコは素直で如才なく、のちに修道院の年代記作者が好んで語ったような自堕落さはおそらくなかったものの、快楽を愛したようである。近くのペルージアがアッシジを攻撃したとき、フランチェスコは志願して市民軍に加わり、つづく戦争に従軍した。彼は捕らえられて、しばらくペルージアの捕虜として暮らした。1204年に重い病気にかかり、しだいに宗教を真剣に考えるようになった。スポレトで幻視を得て帰郷し、世俗的財と家族の絆を捨て清貧の生活に入った。サン・ダミアノ聖堂を再建し、キリストの言葉を聞いて説教を開始した。弟子が集まると単純な生活戒律を作り、1209年、教皇インノケンティウス3世(1160-1216)から認可を得た。1212年、アッシジのクララを中心とする女弟子を定住させて戒律を与え、クララ会を創始、1221年フランシスコ会第三会を始めた。1224年、アラベルナ山において聖痕を受け、盲いて生涯を終えた。
聖フランチェスコの生涯は「ブラザー・サン・シスター・ムーン」(1972年)フランコ・ゼフィレッリ監督で映画化された。フランチェスコにはグレアム・フォークナー、クララにジュディ・バウカーという新人が選ばれた。当時16歳のジュディ・バウカーの清らかな美しさが印象に残る。NHKテレビ「黒馬物語」(1974)、「タイタンの戦い」(1981)以後の活躍はあまり知らない。尼僧の美しさでは、イングリッド・バーグマン「聖メリーの鐘」(1945)、デボラ・カー「黒水仙」(1946)、オードリー・ヘプバーン「尼僧物語」(1959)に匹敵する清らかな聖女であった。
タイトルの「ブラザー・サン、シスター・ムーン」はフランチェスコの言葉からきている。
慰められるよりも、慰めることを
理解されるよりも、理解することを
愛されるよりも、愛することを
太陽を兄と慕い、月を姉と慈しむ
それ以外は何も持たない
主題歌は現代の吟遊詩人といわれたイギリスのドノヴァンが歌っていた。日本語訳詩で桑原一郎の「ブラザー・サン シスター・ムーン」も発売された。桑原は兵庫県西宮市出身のフォーク歌手。バーモント州フォーク・フェスティバルで「明日に架ける橋」を歌い金賞受賞。
ブラザー・サン シスター・ムーン
かぎりない愛の力
ひそかに受けとめたい
けがれた世の中には
はてしなく悩むけれど
夜明けはたずねてくる
愛されるより愛したい
空を飛ぶ鳥のように
ブラザー・サン シスター・ムーン
かえらぬ今日の日を
確かに生きていたい
愛されるより愛したい
空を飛ぶ鳥のように
ブラザー・サン シスター・ムーン
かえらない今日の日を
確かに生きていたい
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