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2007年12月12日 (水)

大江卓の政府転覆計画

    大江卓(1847-1921)は、慶応3年末、土佐藩の陸援隊に加盟し、高野山挙兵に参加する。維新後は、明治政府に出仕し、神奈川県令在任中に、中国人を奴隷として売買していたペルー国汽船マリア・ルーズ号が横浜に寄港したおり、その不法を摘発し、その名を高めた。明治7年大蔵省に出仕したが、翌年退官したのち、西南戦争に際し反政府蜂起を図った。

    明治10年3月24日、大阪で土佐派の会合が行われた席上、林有造らは、兵器を購入したうえで決起すべきだと主張した。だが、大江卓は「のんべんだらりと鉄砲がそろうのを待っているべきではない」と反論する。そして、「まずは兵器は揃う。そのうえで決起して大阪城を奪い取るべきだ。現在、数百名の兵士が大阪城を警備しているだけにすぎず、攻略することは簡単なこと」と、早期決起を訴えた。「いよいよの場合、我が敵は本能寺に在り、敵は備中にあり、汝よく之に備えよの秘略を学んで、一挙して大阪城を奪はなければならぬ」(「大江天也伝」)

   だが、大江による早期決起の主張は通らず、兵器の手配が遅れ、しかも土佐派の重鎮である板垣退助や後藤象二郎らが決起をためらっているうちに、西郷隆盛の敗色が濃厚となりつつあった。そのため、大江卓の政府転覆計画は未遂に終わった。大江は禁固10年の刑に処せられた。出獄後は、衆議院議員として活躍するとともに、実業家としても成功した。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

幕末から明治に生きた人々には、往々にして今の基準ではどう分類してよいのかわからないほど多彩だと感じます。大江卓もしかり。ケペル先生ご紹介の記事内容に加え、明治11年に雲南に渡り、いろいろと見聞の傍ら、書籍を渉猟しつつ書き付けたノートが死後に刊行されています。

大江卓「支那歴史に現はれたる雲南記事(大江卓遺稿)」『南洋資料』第363号、昭和19年8月、財団法人南洋経済研究所。

大江卓はマリー・ルーズ号事件で知られていますが(武田八洲満「大江卓と奴隷解放」)、明治41年ビルマから雲南ルートで探検したことは初めて知りました。「緬面、雲南路最初の踏破者大江卓」雑賀博愛(昭和18年)という文献もあるように、太平洋戦争中、南方資源が注目され、大江卓の業績にも関心が一時的に高まったのでしょう。浮き沈みの多い人ですが、人権問題に一身を捧げた人、自由民権の闘士、雲南探検家、多面的な大江卓研究が高まるといいですね。

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