無料ブログはココログ

« 漱石の母・高橋千枝 | トップページ | 山田吾一と「風来坊先生」 »

2007年12月16日 (日)

文部省唱歌・田道間守の歌

1 香りも高い橘を

  積んだお船が今帰る

  君の仰せをかしこみて

  万里の海をまっしぐら

  今帰る 田道間守 田道間

2 おはさぬ君のみささぎに

  泣いて帰らぬ真心よ

  遠い国から積んで来た

  花橘の香と共に

  名は香る 田道間守 田道間守

    田道間守(たじまもり)は、古事記では多遅麻毛理、日本書紀では田道間守と表記される。垂仁天皇の命をうけて、不老不死の霊果を求めて海外に渡った。常世の国の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を10年の歳月を要して持ち帰るが、天皇はすでにこの世におられなかった。田道間守は悲しみのあまり、天皇の御陵の前で非時香菓を献じて、号泣して殉死した。その跡に生えてきた樹が橘(ミカン)であったことから、明治40年に柑橘や菓子業の祖神として、祀られるようになった。(参考:三好右京『菓祖田道間守公』昭和4年)

« 漱石の母・高橋千枝 | トップページ | 山田吾一と「風来坊先生」 »

「音楽」カテゴリの記事

コメント

国民学校の低学年でこの唱歌を習い、垂仁天皇と田道間守の哀話が長く忘れられませんでした。最近インターネットで歌詞とメロディーを知り、まことに感無量です。垂仁天皇陵のお堀に浮かぶ陪塚(伝田道間守の墓)を拝んだことがあります。

コメントをいただきまして御礼申し上げます。戦後生まれの若輩には田道間守の唱歌は歌えないですが、図書館のカウンターでご年輩の方から歌詞を聞かれたことがあり、インターネット調べました。それから田道間守に興味をもちました。第11代の垂仁天皇は崇神天皇の子ですから、実在した天皇では2代目となります。纏向の珠城宮に都を遷し、奈良市尼辻西町にある宝来山古墳が垂仁天皇陵とされています。宝来→蓬莱とも考えられ、田道間守の常世国を想起させます。藤田元春は垂仁天皇の第4皇女、倭百日日倭姫命を卑弥呼に比定しています。また卑弥呼が景初3年に魏に派遣した難升米は田道間守のことだとする説もあります。難升米Nan-chan.mai→Na‐chi-maナチマは田道間(タジマ)の訛りとのことです。邪馬台国の都は纏向遺跡で、箸墓が卑弥呼の墓なのか、いまだ謎ですが、垂仁天皇と田道間守の伝説は、不老不死の中国の蓬莱伝説に関係するような気がします。

ケペル先生へ
 ご返信をたまわるなど夢のようです。小生は会社役員を退任後、若年時に得た文学賞をよすがにして定年後歴史小説を書いております。それはともかくとして、先生のご返信を非常に有難く存じます。これまでいろいろとインターネットでの交信を試みたのですが、すべてに満足がいくものではなく退会しました。昨年、一昨年と長編の愚作を上梓しいますが、事実本が売れなくなりましたですね。小生は東京出身ですが、琵琶湖に居をかまえ、最近は高齢を理由として京と奈良の県境にマンションを購入しました。本日のお便りを衷心より深謝しております。またいろいろとご教示をお願い申し上げます。

ご丁寧なご返信をありがとうございます。「怨讐海峡」「戦国流浪」などの作品で知られる冨倉康方先生に小生の拙いブログ記事を読んでいただけるだけで光栄です。たしかに本は売れない時代ですが、それは出版流通にも問題があます。大量出版と大手企業の寡占により、本当の読者の手元にとどきにくい状況にあるだけだとおもいます。「戦国流浪」の赤尾虎千代の流浪物語など概要をよみましても大変興味そそられるものがあります。ネットなどを活用すればきっと読者はいるはずです。歴史小説でもとくに戦国物は人気のあるジャンルです。

田道間守の歌を検索したら出てきましたので驚きました。若かりし頃バスガイドとして奈良に行った時にはお菓子の神様「田道間守」の話をするのが好きでした。今は子供に話してあげたくて・・・歌詞をハッキリ覚えておらず、助かりました。ありがとうございます。

なぜか田道間守の唱歌が深く心にのこっていて、特に2番の「おわさぬきみのみささぎに」からの詩は最後まで暗唱していてよく歌いました。 なんと懐かしい曲でしょうか。 幼い心にも哀しみが伝わったのですから、作者は素晴らしい方です。
今も涙無くしてうたえません。 老婆79歳。

昭和20年9月、戦後のどさくさの中、国民学校2年生の私は原因不明の病と栄養失調に倒れ、蒸気船に横たわりながら病院に送られていきました。消え入りそうな声で、何度も何度も田道間守の2番を歌いました。母はなすすべもなく泣き崩れていました。
なんと、6か月間の入院の後、奇跡的に助かりました。母の愛と田道間守りの薬草のおかげと、久しぶりに唄わせていただきました。いろんな思いが蘇ってきます。涙が止まりません。

170622 木曜日 10時30分より 大阪 鶴見福祉会館にて 唱歌音楽会 で 始て 聞き 600人 全員で 歌いました、 現代聞いても 立派な 日本語です。 感動致しました。
 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 漱石の母・高橋千枝 | トップページ | 山田吾一と「風来坊先生」 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30