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2007年12月15日 (土)

志賀直哉「青年よ、大志を抱け」

   青年時代に志賀直哉は内村鑑三から大きな影響を受けた文学者の一人である。明治10年、札幌農学校の初代教頭だったクラーク博士が北海道を去る時に残した言葉「青年よ、大志を抱け」は、すぐに弟子たちに広まったわけではなく、かなりの歳月を経て知られるようになったといわれている。しかしながら明治16年生まれの志賀にとっては、内村などを通じて青年時代から親しんだ言葉であろう。「志賀直哉全集第9巻」には「卒業する諸君へ」という短文が収録されている。昭和27年の『中学国語3年(下)』(学校図書)に書き下ろされたものである。

   人間の一生は一日々々の積み重なったものであるから、日々をたいせつに暮らすのもいいことではあるが、そう考えて、毎日をあまり緊張しすぎると、一生は長いから疲れてしまう。ゆったりした気持で、なるべく視野を広く、考え方にも柔軟性を失わぬようにすることが肝要だ。しかし、一生が一日々々の積み重なったものであることも事実だから、ときに、それを思うことも無意味ではない。

   札幌の北海道大学の校庭にクラークという明治初年に日本にきて、当時の若い人々にいい影響を与えた人の胸像があるが、その台石に、「ボーイズビーアンビシャス」ということばが彫ってある。「ビーアンビシャス」を「野心的であれ」と訳すと、いろいろ危険な結果が考えられてよくないが、「大志をいだけ」と訳せば、いいことばで、青年にはこの気持はぜひなくてはならぬものとわたしは考える。

   自分が一生をささげて悔ゆることのない仕事を選ぶことがたいせつだ。急ぐ必要はない。よく見きわめて、それと決めたら、今度は迷わず、その道に精進すべきだ。人間は一つ事を倦まず続けていけば、いつかは必ずある地点に達することができるものだ。

   天分ということも多少はあるだろう。しかし、わたくとはそれよりも、よりよき仕事をしようという不断の意志をもつことが、もっとたいせつなことだと思っている。天分ある人というのは、むしろその意志をもち続けることのできる人といってもいいかもしれぬ。そういう意味では天分というものは、だれでももとうと思えばもてるものなのだともいえるわけである。

    志賀直哉に限らず、「青年よ、大志を抱け」という名言に、後に続く言葉を考えた人がいる。例えば、次のような稲富栄次郎の訳文がある。

「青年よ、大志をもて。それは金銭や我欲のためにではなく、また人呼んで名声という空しいもののためであってはならない。人間として当然そなえていなければならぬあらゆることをなしとげるために大志をもて。」

    朝日新聞「天声人語」(昭和39年3月16日)にも次のような一文がある。

「少年よ、大志を抱け。しかし金を求める大志であってはならない。利己心を求める大志であってはならない。名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。人間としてあるべきすべてのものを求める大志を抱きたまえ。」

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