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2007年12月30日 (日)

美しい人生

    ケペルは今年の健康診断で便に潜血がみられるので精密検査をするように言われた。しばらく何もしないでいたが、心配なので病院に行くと、大腸にポリプがあるとのこと。来年1月7日から入院するので、しばらくはこのブログも休筆します。夜、就寝中に内心得たいの知れない不安が襲う。ふと思いうかべるのは、黒澤明監督の「生きる」(昭和27年)。渡辺勘次(志村喬)は、市役所の市民課長。30年間無欠勤の彼が、その日初めて休んだ。医師から癌で余命いくばくもないと告げられる。彼は残り少ない命を立派に生きる。雪の朝、静かに横たわっている彼の死に顔には、満ち足りた色が明るく澄んでいた。

   そういえば今年は「千の風になって」が流行し、死ということについて考えさせられる一年であった。古代ローマの英雄ジュリアス・シーザー(前100-前44)は暗殺される前日に友人たちを招いて晩餐をした。席上、「どんな死に方が最良か」と話がはずんだ。シーザーはそれに「突然の死」と答えたという。

   「理想の死に方」でネットを検索すると多くの意見を見ることができる。西行は「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」と風雅に歌っている。花とはもちろん桜である。「桜のようにぱっと散る」とは太平洋戦争末期、若者たちが「特攻」として死んでいったことを思い出してしまう。

    今日の朝刊を読むと「西成の宿泊所で3人練炭自殺か」という小さな記事がある。死亡したのは、吹田市のフリーターの男性(40歳)、徳島市のフリーターの男性(35)、川崎市の無職女性(41)。警察では3人はインターネットで知り合ったとみている。こうした若者の集団自殺が近年多くなっている。この日本は昭和20年も平成20年もかわりなく、戦争、格差社会で若者を犠牲にする国なのだろうか。

    100歳まで生きて、孫、ひ孫に囲まれて老衰で死ぬという大往生だけが「理想の死に方」とは思わないが、この世で与えられた尊い命を大切にして、精一杯に生きることこそが美しい人生だと考える。

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