懐かしの「紅白歌合戦 昭和38年」
NHKは第58回紅白歌合戦の出場歌手を発表した。初出場歌手の顔ぶれを見てもなじみがない。ちなみに最高視聴率81.1パーセントだった第14回(昭和38年)の50組の歌手は皆知っている。
紅組
司会・江利チエミ、弘田三枝子「悲しきハート」、仲宗根美樹「奄美恋しや」、松山恵子「別れの入場券」、雪村いづみ「思い出のサンフランシスコ」、こまどり姉妹「浮き草三味線」、坂本スミ子「テ・キエロ・ディヒステ」、高石かつ枝「りんごの花咲く町」、楠トシエ「銀座かっぽれ」、江利チエミ「踊り明かそう」、トリオこいさんず「いやーかなわんわ」、吉永小百合「伊豆の踊子」、朝丘雪路「永良部百合の花」、島倉千代子「武蔵野エレジー」、畠山みどり「出世街道」、西田佐知子「エリカの花散るとき」、越路吹雪「ラスト・ダンスは私に」、スリー・グレイセス「アイ・フィール・プリティ」、倍賞千恵子「下町の太陽」、三沢あけみ「島のブルース」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、ペギー葉山「女に生れて幸せ」、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、五月みどり「一週間に十日来い」、中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり「キューティパイ・メドレー」、美空ひばり「哀愁出船」
白組
司会・宮田輝、田辺靖雄「雲に聞いておくれ」、守屋浩「がまの油売り」、北島三郎「ギター仁義」、アイ・ジョージ「ダニー・ボーイ」、和田弘とマヒナスターズ「男ならやってみな」、ジェリー藤尾「誰かと誰かが」、三浦洸一「こころの灯」、森繁久彌「フラメンコかっぽれ」、立川澄人「運がよけりゃ」、ボニー・ジャックス「一週間」、北原謙二「若い明日」、田端義夫「島育ち」、三橋美智也「流れ星だよ」、村田英雄「柔道一代」、橋幸夫「お嬢吉三」、フランク永井「逢いたくて」、ダーク・ダックス「カリンカ」、芦野宏「パパと踊ろう」、舟木一夫「高校三年生」、坂本九「見上げてごらん夜の星を」、旗照夫「史上最大の作戦マーチ」、デューク・エイセス「ミスター・ベイスマン」、春日八郎「長崎の女」、植木等「どうしてこんなにもてるんだろう・ホンダラ行進曲」、三波春夫「佐渡の恋唄」
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最多出場44回の北島三郎はこの年「ギター仁義」で紅白初出場する。昭和38年出場歌手で今年も選ばれたのは北島ただ一人である。多くの人気歌手の中で北島への拍手は少なかった。あの時、誰が今日を想像できただろうか。芸能界の浮き沈みは予測不可能なのだ。
この年の大ヒット曲はもちろん「こんにちは赤ちゃん」である。また低迷期を脱した美空みばりが「哀愁出船」(昭和38年)、「柔」(昭和39年)、「柔」(昭和40年)、「悲しい酒」(昭和41年)、「芸道一代」(昭和42年)、「熱禱(いのり)」(昭和43年)、「別れてもありがとう」(昭和44年)、「人生将棋」(昭和5年)、「この道を行く」(昭和46年)、「ある女の詩」(昭和47年)と10年連続をトリをつとめたスタートの年であった。そして美空ひばりがトリだった昭和47年の紅白の視聴率80.6パーセントを最後に、二度と80パーセントの大台に乗ることはなく、逓減傾向は顕著になっていった。
ケペルはあの頃は子供だったが、市場で商売をしていたので、大晦日は稼ぎ時でいつもより遅くまで店をあけていた。9時5分に紅白が始まったが、まだ店のあとかたずけやら、天上から吊り下げられたモールの撤去やらで、なかなかテレビの紅白が見られないのでラジオから流れる紅白を聴いていた思い出がある。
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