吉野作造、夏の日の恋
大正デモクラシーの旗手・吉野作造(1878-1933)といえば、「民本主義」で知られるが、実はこの民本主義という概念を初めて提唱したのはジャーナリスト・茅原崋山(1870-1952)である。吉野作造の師である小野塚喜平次(1871-1944)はデモクラシーを「衆圧主義」と訳していた。吉野のねらいはデモクラシーの定着にあったが、大日本帝国憲法下においては天皇主権が法理学上の建前であったため民主主義(主権在民)という言葉を避けて、茅原の「民本主義」を踏襲したのである。(「民本主義鼓吹時代の回顧」)吉野の民本主義は大正5年「憲政の本義を説いて其有終の美を済(な)すの途を論ず」(中央公論)という論文によって、一躍、新時代をリードする主張となった。
吉野作造は明治11年1月29日、宮城県志田郡古川町字大柿村96番地(現在・古川市十日町)で生まれる。明治30年9月に仙台第二高等学校に入学し、翌年7月、仙台浸礼教会牧師より洗礼を受ける。夏休みの旅行先で同じクリスチャンで18歳の仙台女子師範学校の女学生・阿部たまの(1880-1959)に出会う。夏の恋はそのまま結婚へ発展した。明治33年9月に東京帝国大学に入学したときは、吉野作造はすでに妻帯者だった。
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