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2007年11月29日 (木)

ドミニク・サンダと仁科亜季子

    1970年代に青春を過ごした男子にとって、スイス西独映画「初恋」(1970年)のドミニク・サンダの高貴でミステリアスな美貌は永遠に忘れられない。ところでイワン・セルゲエヴィッチ・ツルゲーネフ原作の「はつ恋」は翻案物として仁科明子主演で昭和50年に東宝で映画化されている。ドミニク・サンダの近況は知らないが、仁科は平成10年12月に松方弘樹との離婚後、仁科亜季子と改名し、ドラマや映画「精霊流し」「いつか読書する日」など芸能活動を再開している。先日もテレビ「いつみても波瀾万丈」を見た。職場の同世代の女性たちの仁科の評判はよろしく、駆け落ち結婚、子育て、難病、離婚、再起など彼女の生き様に現代女性にとって多くの共感するものがあるという。つまり仁科亜季子のファン層は昭和47年から昭和53年までの清純派女優時代「お嫁にしたい女優№1」の男性中心から、2000年代中年女性に移行したように見える。しかし、やはり彼女の支持層の基幹は男性だと確信している。その人気の謎を解くカギはやはり「はつ恋」にある。

   ドミニク・サンダの「初恋」は名優マクシミリアン・シェルの監督デビュー作で、少年のジョン・モルダー・ブラウンも一時人気があった。なんといってもスヴェン・ニクヴィストの映像が美しい。おそらくこの映画に刺激されたと思われるが、小谷承靖監督の「はつ恋」仁科明子も魅力的でスイグル・シンガーズの音楽も新鮮だった。

   1833年、ヴラジミールはモスクワの両親のもとに住んで大学の入試勉強をしていた。父はまだ若く美男子で、母は父よりも10歳も年上だった。その年の夏、一家は避暑地の別荘を借りた。三週間たったある日、隣に没落貴族の夫人とその娘ジナイーダが引っ越してきた。夕方、ヴラジミールは垣根越しに隣をのぞいた。すらりと背の高い少女が、4人の青年たちのおでこを花束で叩いているのだ。その身ぶりには、なんともいえず魅惑的な、高飛車な、愛撫するような、あざ笑うような、しかもかわいらしい様子であった。翌日、あの娘が現れた。「いいこと?あなたは16だそうですけれど、私は21なんですもの。私のほうが年上でしょ。だから、あなたは私の言うことをきかなくてはね」

    ある日彼女は「あなた、私がとても好き?」と聞いた。「いっそ世界の果てへ行ってしまいたい」と弄んでいた。またある日、ジナイーダは「私のこと、悪く思わないでね」と言った。「いいえ、ぼくを信じてください。あなたがたとえどんなことをなさろうとも、僕は一生涯あなたを愛します、崇拝します」

   やがて4年が過ぎた。ヴラジミールは今ではドーリスカ夫人となったジナイーダを訪ねた。彼女は4日前に亡くなっていた。お産のための、ほとんどあっというまもない死に方だったという。

    ドミニク・サンダや仁科亜季子のファンの男性も多いだろうが、原作どおり、彼女たちの行き方にどんなに振り回されようと、結論はやはり「あなたがたとえ、どんなことをなさろうと、僕は一生涯あなたを愛します、崇拝します」ということであろうか。

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