社会文芸研究会とマル芸
佐々木孝丸(1898-1986)という名前を聞けば、映画の悪役俳優の印象があった。実は演劇人で、若い頃は「マルクス主義芸術研究会」(マル芸)の一員として昭和文学史にその名を残している。佐々木孝丸はフランスの革命歌「インターナショナル」を最初(大正11年)に訳詩したことでも知られる。現在知られている歌詞は、昭和4年、佐々木孝丸と佐野碩が改訳したものである。インターナショナルの歌といっても最近の若い人はあまり知らないらしい。ケペルの若い頃、労働組合の集会などでよく歌われていた。難かしい歌詞であるにもかかわらず、職場の先輩たちが高らかに合唱していたことを鮮やかに覚えている。名曲なのだ。この歌が集会から消えて久しいが理由はケペルにはよくわからない。
大正14年10月、林房雄、久板栄二郎、鹿地亘、中野重治らは東京大学内に社会文芸研究会を作った。大宅壮一、浅野晃、菊川忠雄らもいた。大正15年春、林と中野はプロレタリア文学運動に新風を巻き起こすため、佐野碩、亀井勝一郎らをメンバーに加えた。さらに学外から、トランク劇場の佐々木孝丸、関鑑子、柳瀬正夢、千田是也、小野宮吉らも迎えて、社会文芸研究会はマルクス主義芸術研究会(マル芸)と改称した。
マル芸は東大の文学部の教室を借りて講演会を開催した。講師は葉山嘉樹、山田清三郎、里村欣二の3人。早稲田の高等学院を中退した葉山以外は小学校だけしか出ていない。講師はおどおどしながら講演したが、学生は意外にも熱心に聞いていた。その中の一人の武田麟太郎は、「非常に感激して聞きました。これで自分の文学上のコースがわかった気がします」と言っている。
起て 飢えたる者よ
今ぞ日は近し
さめよ わが同胞
暁は来ぬ
暴虐の鎖断つ日
旗は血に燃えて
海をへだてつ われら
腕(かいな) むすびゆく
いざ たたかわん いざ
ふるいたて いざ
インターナショナル
われらがもの
ちなみにこの訳詩者・佐々木孝丸の子が、「冬のソナタ」サンヒョク(パク・ヨンハ)の父親(チョン・ドンファン)の吹き替えを担当している佐々木勝彦である。
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