流れる星は生きている
「いま、日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、国家の品格を取り戻すことである」という数学者・藤原正彦の「国家の品格」は今でもよく読まれている。ところで藤原正彦の父・新田次郎(1912-1980)は、昭和18年満州国観象台(中央気象台)に高層気象課長しとて赴任した。その年、正彦は、次男として満州の新京で生まれた。昭和20年には、妹の咲子も生まれた。ところが、昭和20年敗戦により、新田次郎は抑留生活を送る。妻の藤原てい(当時26歳)は、長男正宏(6歳)、次男正彦(3歳)、長女咲子(1ヵ月)の3人の愛児を連れて想像を絶する苦難の末、満州から引き揚げた。この体験をもとにした小説「流れる星は生きている」は戦後の大ベストセラーとなった。昭和24年9月、大映作品で三益愛子(1910-1982)主演で映画化(小石栄一監督)され、劇中三條美紀が歌う主題歌「流れる星は生きている」(古関裕而・曲、藤原てい・詩)もヒットした。(ジャズ歌手池真理子の吹き替え)
映画、小説とフィクションであるが、当時同じ体験をした日本人は多く、ほとんど事実であるかの如く、共感をもって迎えられた。
藤村けい子(三益愛子)は三人の子を連れてようやく内地に引き揚げた。恋人と別れた堀井節子(三條美紀)も引揚者の一人だった。しかし内地の風は冷たく、肉親にも裏切られた。ようやく身を寄せた引き上げ寮には、かつての満州に宮原幸枝(羽鳥敏子)もいた。節子は幸枝の勧めで嫌々ながらキャバレーの歌手になる。けい子は製本屋で働く。長男の正一(大久保進)も靴みがきをして母を助ける。ところが次郎(佐藤勝彦)が養子に出されることを盗み聞きした正一と次郎は家出する。ようやく2人を探し出したときは、正一はジフテリアにかかっていた。けい子は診療費に窮して、身を売る決心をする。しかし、節子はこれを押しとめた。幸い善良な医師(徳川無声)のおかげで、次郎は一命をとりとめた。そして、けい子や節子が待ちに待った、良人や恋人の引き上げ船が入港するのはそれから間もなくのことであった。
大映母もの映画といえば、三益愛子主演で計31作品が製作された。なかでも三條美紀との共演が思いで深い。「山猫令嬢」「母」「母紅梅」「流れる星は生きている」「母燈台」「母椿」「姉妹星」。三條美紀は時には「山猫令嬢」のようにセーラー服の女学生だったり、「流れる星は生きている」ではキャバレー歌手だったりで、三益愛子との関係は多彩である。いずれにせよ、昨今ブームの泣ける映画、韓国ドラマをはるかに超えたドラマチックな仕上がりである。宮原幸枝(羽鳥敏子)は満州で愛児を亡くし、帰国して身を売ってキャバレーで働く。三益愛子とは対照的な女の生き方として注目される。戦後スターの羽鳥敏子はこの頃池部良と結婚していた。かなり活躍した女優である。また「愛のスウィング」で戦後ジャズブームを築いた池真理子の歌声が聞けるのも楽しい。池真理子は世界的に知られる禅学者の鈴木大拙の長男・鈴木勝と結婚している。ジャズ歌手と禅、山岳小説と数学者、引き揚げ・靴磨きと品格、60年の歳月は日本人の戦後を物語っている。
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