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2007年11月 3日 (土)

モディリアーニの恋人

   1916年12月、アメディオ・モディリアーニ(1884-1920)32歳は、モンパルナスにあるアカデミー・コラロッシで絵を学んでいた画学生、18歳のジャンヌ・エビュテルヌ(1898-1920)と知り合う。ジャンヌの両親の反対を押し切って、1917年7月にグラン・ショミエール街に身を落ち着け、同棲を始める。1918年3月、彼らはコートダジュール、ニース、リヴィエラ、カーニュに移り住む。南仏の光はモディリアーニのパレットを明るくし、マティエールを薄くする。11月29日、ニースで娘のジャンヌが生まれる。1919年、モディリアーニはパリに戻り、グランド・ショミエール街8番地に住む。数ヵ月後、再び妊娠したジャンヌもパリに戻る。しかし、モディリアーニは酒と麻薬に溺れ、パリ慈善病院で1920年1月24日、結核性脳膜炎で死去。妻のジャンヌもその2日後の早朝、2人目の子供を身ごもったままアパートの6階から投身自殺。近年「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」などで、ジャンヌは知的で強い意志を持った女流画家であったことが評価されている。

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