永山一夫と「ゼロ戦黒雲隊」
ブーゲンビル島の南側にバラレ、ファウロ、ピエズなどのショートランド諸島がある。昭和18年4月18日午前7時30分過ぎ、連合艦隊司令長官・山本五十六は、ラバウル基地からバラレ島に赴く途中、米軍戦闘機の襲撃を受けた。午前7時50分頃、山本長官搭乗の一番機は、モイラ岬のジャングルに墜落、山本五十六以下11名は全員死亡。
バラレ島は小さな島であったが昭和18年頃は、ここを根拠地として零戦の航空隊が活躍していた。そのような航空隊の活躍を描いたドラマ・映画・漫画は昭和30年代数多くつくられた。漫画では、ちばてつや「紫電改のタカ」、貝塚ひろし「零戦レッド」、九里一平「大空のちかい」、辻なおき「0戦はやと」「0戦太郎」。映画では、石原裕次郎の「零戦黒雲一家」、加山雄三の「ゼロファイター」「太平洋の翼」など。
テレビドラマでは「ゼロ戦黒雲隊」(昭和39年)があった。加茂正人(亀石征一郎)隊長が南方最後の基地バラレ島に指揮官として赴任したのは、米軍の攻撃は日増しに激しくなる昭和18年のことであった。バラレを死守する40数名の部下たちはならず者の集団だった。隊員のなかでも中村甲太(永山一夫)はとくに乱暴者であった。加茂は中村と対立しながらも、やがて強い絆で結ばれ、「ゼロ戦黒雲隊」と敵に恐れられた強力な部隊を統率していった。
永山一夫の俳優としての活躍はこの「ゼロ戦黒雲隊」をはじめとして「空手三四郎」、映画「日本暗黒史」「昭和残侠伝」など迫力のある演技が光った。永山はNHK番組「おかあさんといっしょ」の人形劇コーナー「ブーフーウー」の狼の声としても知られていた。
永山一夫はテレビ初期に日本人に強烈な印象を残した俳優である。本名コン・ヒョンスン。永山は二人の子どもを連れて昭和46年10月24日、万景峰号で北朝鮮に帰国した。当時36歳で売れっ子の俳優の突然の帰国は週刊誌などでも大きく取り上げられた。「社会主義の祖国」「地上の楽園」と謳われ夢を抱いて北朝鮮に帰国したが、その多くは悲惨な現実に直面したという。しかし約9万人といわれる北朝鮮帰国者たちのその後の人生がどうであったかという詳しい情報はいまではわからないという。北朝鮮帰還事業を思うと、いまでも永山一夫のドスの聞いた声が耳に残る。フランク赤木が歌う「ゼロ戦黒雲隊」の主題歌。
空が赤いぜ赤いぜ血潮の色だ
雲が走るぜ走るぜ果て無く遠く
行くぞ大空風切って
翼ひとふりにっこり笑う
ゼロ戦ゼロ戦黒雲隊
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永山一夫氏は幼い頃意識し始めた声優の一人でした 当時名前は知らなくても 実写ドラマに出演してると「あ~狼さんの声や」 て意識しました 私は狼さんより遊星少年パピイのストロングの方が印象深いです 在日やと知ったのはこのサイトが゙始めてです 永山氏は今井健二に似てると思う 声も似てるし 去就については いつぞやの徹子の部屋で黒柳氏自身が「永山君は北朝鮮で頓死しちゃった」て言うてた様な…
投稿: ストロング金銅 | 2012年10月20日 (土) 19時29分