詩人シェリーとフランケンシュタイン
パーシー・ビッシュ・シェリー(1792-1822)は1702年8月4日、サセックスのホーシャム近郊フィールド・プレース邸に、富裕な地主の長男として生れた。名門イートン校からオックスフォード大学ユニヴァーシティ・カレッジに入学。1811年春、友人トマス・ジェファーソン・ホッグと共に、「無神論の必要性」と題するパンフレットを配布したため、大学から追放される。
父ティモシーから勘当されたシェリーはロンドンに出て、妹の学友のハリエット・ウェストブルックと駆け落ちし、1811年8月に結婚した。しかし1814年、メアリー・ゴドウィン(1797-1851)を知り、シェリーは新たな理想像をそこに見出した。そして同年7月28日、彼女とその義妹クレア・クレアモントを連れて、ヨーロッパ旅行をする。1816年5月、シェリー、メアリー、バイロン、ジョン・ポリドリらは、スイスのジュネーブ近郊のレマン湖畔のディオダティ荘に滞在していた。天候不順で長く降り続く雨のため屋内にとじ込められいた際、それぞれが作品を仕上げた。シェリーの「モン・ブラン」「理想美の顔」、バイロンの「チャイルド・ハロルドの巡礼」第3幕などの作品は、そうした日々と情景から出来たが、皮肉にもアマチュア作家であるメアリー・シェリーが書いた小説「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」が今日でも最も読まれているであろう。生命の創造の夢にとり憑かれた科学者フランケンシュタインがつくりあげたモンスター(人造人間)が、20世紀にはボリス・カーロフが演じる面長で無表情なフランケンシュタインとして知られるようになる。
シェリーは1822年7月8日、小さなヨット「ドン・ジュアン号」に乗ってトスカナ沖で嵐にあい溺死した。
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