無料ブログはココログ

« 黄水仙に献げる詩 | トップページ | 長谷健と平林たい子 »

2007年10月13日 (土)

中島菊夫と小砂丘忠義

    中島菊夫も中島さと子もあまり戦前のことは多くを語りたがらない。菊夫は大正から昭和にかけて高知で小学校の教師をしていた。綴方教育で知られる小砂丘忠義(1897-1937)とは同級生であり、二人は教育の改革をめざした運動家であった。

    小砂丘忠義(ささおかただよし)。本名・笹岡忠義。明治30年4月25日、長岡郡東本山村に生まれる。大正9年、妻を亡くし、みずからも肺結核で休職する。大正10年、中島菊夫・吉良信之とSNK協会を設立し、「地軸」を創刊。下中弥三郎らの啓明会に地方会員として参加。大正12年、岡豊小学校の校長となり、10月「教育の世紀」高知支部を設立。大正13年「地軸」を再刊。県学務当局の圧迫により4号で中止。大正14年「教育の世紀」編集のため退職し上京。昭和元年、文園社に移り、「鑑賞文選」の編集に専念する。昭和4年「綴方生活」(主幹・志垣寛)を創刊し、全国の綴方教師を結成。小砂丘忠義は、生活綴方運動を推進し、綴方教育を実践していた青年教師たちに大きな影響を与えた。中島菊夫は「綴方生活」で得意の漫画を描いている。「綴方生活」は昭和12年まで刊行された。

« 黄水仙に献げる詩 | トップページ | 長谷健と平林たい子 »

日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 黄水仙に献げる詩 | トップページ | 長谷健と平林たい子 »

最近のトラックバック

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31