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2007年10月 9日 (火)

黄水仙に献げる詩

     ウィリアム・ワーズワース(1770-1850)はよく自然詩人と言われる。そして、それに誤りはないが、しかし単なる自然讃美の詩人とするならば大きな誤解となろう。自然の深奥に秘められた共感の歓喜を謳いあげているのである。

    1770年4月7日、イギリス北西部カンバーランドのコカマスに生まれた。弁護士であった父・ジョン・ワーズワースの二男。五人兄弟で長男リチャードは法律家、長女ドロシー(1771-1855)、三男ジョンは船長となったが1805年難船で死亡、四男クリストファーはケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学寮長となった。母はウィリアムが8歳のときに、父は13歳のときに死亡し、遺児は二人の叔父のもとで離ればなれに養育された。

    ケンブリッジ大学に学んでいた1790年、フランス旅行中に革命を実際に見聞し、共和主義に共鳴した。大学卒業後、渡仏しブロワの外科医の娘アネット・バロン(1766-1841)と恋仲になる。娘キャロラインが生まれる。ところが革命が恐怖政治となり、アネット母子とも生き別れとなる。この恋愛事件や革命の流血化などに彼は絶望と激しい幻滅を覚えるに至った。かれを慰めたのは妹ドロシーと友人コールリッジだった。二人の親交はやがて「抒情詩集」(1798)の出版となり、イギリスロマン主義の一時期を画すに至った。

    ワーズワースの礼賛する自然とは、人間の全存在と固く結ばれることによって想像力の源となる自然である。

     雲のように孤独に

ぼくはさすらっていた、山や谷を見おろしながら。高空をただよいゆく雲のように孤独に、と、いきなりぼくの目にとびこんできたのは、群れをなし金色に咲きほこる黄水仙たち。湖のほとり、樹々の下、そよ風にはためき、踊り狂うその姿だった。天の河にきらめく星屑のように、切れめなく、目路のかぎり、入江にそって咲きつらなる花たち、一べつ、万をこえるその群れが、頭をふりつつ踊る、晴れやかな舞踊。波もまたかたわらで踊っていた、が、花たちは、きららかな波よりも、もっと陽気だった。こんな愉しい仲間に出会っては詩人も心浮かれずにはいられない。ぼくは見つめた。なおも見つめた。が、この眺めがどんな富をぼくにもたらしたか思いもよらなかった。というのは、うつろな物思いのうちにひとり横たわっているときなど、孤独の幸いである、あの内なる眼に花たちの姿がいくたびも閃くのだ、と、たちまちぼくの心は歓びにあふれてきて、踊りだすのだ。黄水仙といっしょに。

               高橋康也訳

    草原の輝き

草原の輝き 花の栄光

再びそれは還らずとも

なげくなかれ

その奥に秘めたる力を見い出すべし

               高瀬鎮夫訳

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