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2007年10月13日 (土)

長谷健と平林たい子

    「あさくさの子供」(第9回芥川賞)などの名作で知られた長谷健(1904-1957)は、本名・藤田正俊(旧姓堤)、福岡県柳川市に生まれ、福岡師範卒。昭和4年に上京し、小砂丘忠義の「綴方生活」の編集同人をしていた。毎月「綴方インターヴュー」という連載で有名作家に会って文章作法などを聞く。昭和10年6月号は平林たい子(1905-1972)である。

  「綴方について何か話していただきたいんですが」と言いながら「綴方生活」を一冊差出すと、「それは大変おやすい御用で、また一面むづかしい問題ですわね」さらさら言ってのけてからさて「文章は、見た通り感じた通りそりままを書くというのが骨子ではありますがね。ただその通りに書いただけでは、写真になってしまいますね。作文は、文学は、写真ではないんです。見た通り感じた通りといっても或部分は事実以上に誇張されたり、時には省略されたりして非常に複雑になるものです。従って感じた要点や、主張したい点は、特に綿密的確に表現するしいくらありのままでもそれが自分の主張と反対の場合は省略してしまうんですね。しかしまた見た事感じた事を、もっともっとよく云い表わすためには、時に、それと反対のものを強く現す場合もあります」「逆効果をねらうといふところですか」「まあ、いってみればさうですね」滔々と喋りつづけるところ、ますます九州なる肥った私の姉とそっくりである。いきおいどうも姐御といった風な親しみがわいてくる。

   長谷健は平林たい子よりもわずか一歳年下であるが、流行作家とまだ無名の文章修業中の「はせけん」では、文士としての格が違うのだろう。恐る恐る女史の話を聞いていたようだ。夫の小堀甚ニ(1901-1959)の咳払いが襖越しに聞えた。長居は病人の神経を刺激するとばかり、用件をすますとさっさと退却した。

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