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2007年10月17日 (水)

長谷健と九州文学

    「今日は何の日」を調べると、芥川賞作家の長谷健の誕生日である。長谷は、明治37年、福岡県山門郡東宮永村下宮永北路(現・柳川市)で生まれる。筆名の由来は、長谷川如是閑(1875-1969)とも「長谷の大仏さん」ともいわれる。学生時代に肋膜を患い、健康を願って「長谷健」としたという。東京の小学校の先生(堤正俊といっていた)が芥川賞を受賞したのは昭和14年のことである。戦後、長谷は火野葦平の「鈍魚庵」に同居していた。同じ福岡出身の火野も「糞尿譚」(第6回芥川賞)で受賞している。

   芥川賞受賞者を府県別でみると、第1回から第134回平成17年下期まで139名のうち、東京は27名、大阪府14名、福岡県は11名である。福岡、長崎出身者の作家は多い。九州文学といえる土壌があるようだ。歴代の受賞者は鶴田知也(1902-1988)「コシャマイン記」、火野葦平(1907-1960)「糞尿譚」、中山義秀(1900-1969)「厚物咲」、長谷健(1904-1957)「あさくさの子供」、松本清張(1909-1992)「或る小倉日記伝」、岡松和夫(1931生)「志賀島」、森禮子(1928生)「モッキングバードのいる町」、村田喜代子(1945生)「鍋の中」、藤原智美(1955生)「運転士」、藤野千枝(1962生)「夏の約束」、大道珠貴(1966生)「しょっぱいドライブ」

   ところで長谷健の作品には、同じ柳川出身の北原白秋(1885-1942)を題材にした「からたちの花」(昭和30年)がある。昭和32年、白秋三部作の終章「帰去来」執筆半ばに交通事故で急逝した。

   長谷は昭和4年に上京して、小砂丘忠義の「綴方生活」の同人として活躍した。白秋の抒情性、童心性を中心とした「児童自由詩」に対して、生活綴方運動では現実生活に根ざして、その生活感動を端的に表現した「生活詩」を重要視していったので、白秋と同郷である長谷健の立場は微妙であり、複雑であったであろう。芥川賞受賞後の戦時中も「九州文学」の同人であった長谷は、戦前と戦後とを繋ぐ九州文学の重要な位置をしめている。

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