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2007年10月 1日 (月)

明治天皇、大正天皇の謎

    五摂家(近衛家、鷹司家、九条家、二条家、一条家)の一つである一条家・左大臣・一条忠香(1812-1863)は、幕末維新期、公武合体推進派の公卿として活躍した。忠香の三女・勝子(まさこ、1849-1914)は、富貴姫、寿栄姫とも称したが、慶応3年、明治天皇の女御に内定される。明治元年に入内し、12月28日、皇后の宣下をうけ、御名は美子(はるこ)と称した。美子と明治天皇との間には子はなく、明治天皇は5人の女官との間に男女15人の子をもうけている。柳原愛子(やなぎはらなるこ、1855-1943)、葉室光子(1867-1912)、橋本夏子(1858-1873)、園祥子(そのさちこ、1867-1947)、千種任子(ちぐさことこ、1855-1944)である。典侍・柳原愛子は明治12年8月31日、第3皇子・明宮(はるのみや)を産み、大正天皇の母となる。

    明治天皇の皇子は嘉仁親王(大正天皇)以外はいずれも短命であった。稚瑞照彦尊(わかみずてるひのみこと)、敬仁(ゆきひと)親王、猷仁(みちひと)親王、輝仁(てるひと)である。

    皇女は昌子(まさこ)内親王51歳、房子(ふさこ)内親王84歳、允子(のぶこ)内親王42歳、聡子(としこ)内親王81歳、稚高依姫尊(わかたかよりひめのみこと)、薫子(しげこ)内親王、韶子(あきこ)内親王、章子(ふみこ)内親王、静子(しずこ)内親王、多喜子(たきこ)内親王である。

    さて、皇后(一条美子)は、大正4年4月12日に65歳で亡くなった。5月1日に明治神宮の御祭神として内務省告示第30号により祭神「明治天皇・昭憲皇太后」の祭神名が発表された。すでに明治天皇は崩御されていたので、昭憲皇太后と呼ばれていた。しかし、本来ならば昭憲皇后とすべきであった。当時の宮内大臣・波多野敬直(はたのよしなお、1850-1922)が誤って上奏し、そのまま裁可された。前代未聞のミスであるが、御祭名を改めることはできないとして、現在に至る。つまり、明治天皇の皇后は昭憲皇太后、大正天皇は貞明皇后、昭和天皇は香淳皇后である。しかしこの重大なミスに関して、宮内大臣の波多野敬直も、内大臣の大山巌も何故か責任を問われたということは聞かない。大正天皇の即位礼が、昭憲皇太后の大葬のために一年延期されていたためかも知れない。大正4年11月10日、京都御所で大正天皇の即位の大礼が行なわれた。今日、明治天皇や昭和天皇の誕生日は知っていても、大正天皇の誕生日を知る人は少ない。明治天皇を神として祀る明治神宮が大正9年につくられたが、大正神宮は何故か造られなかった。現人神であった明治天皇、大正天皇には謎が多い。

   明治天皇の皇后・昭憲皇太后については、戦前に教育を受けた人は「金剛石も磨かずば」という唱歌でご記憶のかたも多い。和歌をよくし、「磨かずば玉も鏡もなにかせむ 学びの道もかくこそありけれ」「磨かずば光の玉は出でざらん 人のこころもかくこそあるらし」 が知られている。

       金剛石 

      昭憲皇太后作詞 奥好義作曲

 金剛石も 磨かずば

 珠のひかりは 沿わざらん

 人も学びて 後にこそ

 誠の徳は 現るれ

 時計の針の 絶え間なく

 巡る 時の間の

 日陰を惜しみて 励みなば

 如何なる業か ならざらむ

「金剛石」の着想には、ベンジャミン・フランクリン(1706-1790)の勤労・節約の哲学(時は金なり、タイム・イズ・マネー)が根底にあるようだ。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

様々な記事を興味深く読ませていただいており、勉強させていただきます。
幼少のころ、母が歌っていました、昭憲皇太后の歌 …人も学びて 後にこそ 誠の徳は 表れる…は「現るれ」と記憶していました。懐かしく思い出しました。有難うございます。

ご指摘どおり「現るれ」です。戦後生まれの若輩者で不注意なミスでした。ある日、図書館の窓口で金剛石の歌を探しておられる年輩の男性がいました。ネットで調べてさしあげたら、たいへん喜ばれました。日本人には思い出深い歌だと初めて知りました。ところで、生田長江の研究で知られる先生でしょうか。これまで平塚雷鳥、シュティルナー、ニーチェなどの関連で生田長江はこのブログでも名前だけ登場していますが、まだ長江の業績が広範なので全貌がつかめません。文芸のみならず大杉栄との関係など社会思想、哲学、宗教などいま再評価される人物ですね。

ケペル先生   河中信孝@日吉津
対円失礼致しました。昭憲皇太后の歌について、想い出を書かせていただきました後、どうなったかを知る方法もわからず、失礼致しておりました。
さる人の名前で、検索することがあり、自分の名前ではどんな記事に関連あるのかなと、検索してみましたところ、去年11月、ご丁寧にも返信いただいており、見せていただくのを、怠っていました。失礼致しました。
生田長江(鳥取県日野町出身)についてはは、現在、顕彰会(「白つつじの会――生田長江顕彰会」)が発足していまして、勉強を続けさせていただいています。
ブログにも名前が登場しているとのこと、うれしく、ありがたく存じます。是非、下記のHPもご高覧いただきたいと思います。http://my.sanin.jp/site/page/hino/choukou/
時々はブログ拝見しなくては……

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