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2007年9月 9日 (日)

明治天皇と相撲

    土佐藩士の那須盛馬(1836-1908)は、元治元年8月14日、田中光顕(1843-1939)らと脱藩した。明治維新後、那須盛馬は片岡利和と名前を変え、新政府に出仕する。のち侍従となる。片岡は小柄ながら腕力があり、明治天皇のよき相撲の相手であったことが伝えられている。明治天皇も体格がよく、丈夫であったようである。しかしながら、幼少の頃は女官たちに囲まれて育ち、蒲柳の質であった。幕末期の睦仁親王と明治天皇とずいぶんと違う逸話に奇異な観があった。田中光顕は「明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。睦仁親王は孝明天皇崩御と同時にただちに即位したとなっているが、実は睦仁親王は暗殺され、これにすり替わった明治天皇は、後醍醐天皇第11番目の息子、満良親王の御王孫で大室寅之祐である」と証言している。田中光顕と片岡利和は土佐藩出身であり、長州力士隊の大室寅之祐とは幕末期からの知り合いであったのだろう。片岡利和との相撲の話が田中証言の傍証とはならないだろうか。片岡が明治天皇から千島探検を命ぜられた理由もなんとなくわかるような気がする。

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