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2007年9月 8日 (土)

「たった一度の雪」と「チルソクの夏」

   1972年2月3日、アジアで初めての冬季オリンピック「札幌オリンピック」が開会された。神田沙也加とチェン・ボーリン(陳柏霖)主演の「たった一度の雪」は日本人選手と台湾人選手の国境を越えた淡い冬の恋。「チルソクの夏」は1977年7月7日、下関と釜山との間で行なわれた親善陸上競技大会での日韓高校生の夏の恋。二つのドラマの背景には未だに解決されずにいる戦後政治のアジア問題がある。

   「たった一度の雪」の台湾選手はスキーを一度もしたことがなかった。1971年10月25日、それまで中華民国として国連および安保理の常任理事国であった台湾は、大陸の中華人民共和国に国連代表権が与えられたため、国連を脱退せざるを得なくなった。台湾選手はこのような問題を世界にアピールするため五輪に派遣されたものであった。ヒロイン下村千穂は、はじめはガールハントだけに興味をもつ孫台生に反感をもっていたが、政治的な事情があることを知って、やがて二人の間に友情が生まれてくる。現在も台湾は国連の枠組みから外されているため、「中華民国」名義でのオリンピック参加も承認されず「中華台北」で参加している。

   ドラマの背景となる台湾問題を深く知るためには、太平洋戦争末期の日本統治下時代にまでさかのぼらなければならないであろう。戦後すぐに刊行された弘文堂のアテネ文庫の一冊に「アジア問題辞典」(平野義太郎編、昭和26年)がある。朝鮮戦争勃発時の同時代史としての視点でアジア問題が記されているので「台湾問題」の項目を引用する。

  昭和18年のカイロ宣言によって台湾は中国への返還が約束され、さらにポツダム宣言によって確認され、日本降伏後は国民政府軍によって占領され、国民政府は昭和20年9月に台湾省行政長官公署組織条例を公布して、台湾を中国の一省として編入した。したがって台湾は中国領土であるという原則は確認されたはずであったが、中華人民共和国の成立と前後してアメリカ政界では台湾を中共の手に渡すなとの議論が次第に勢いをうるようになった。これに対しトルーマン大統領は1950年1月5日の声明でカイロ宣言とポツダム宣言を確認するとともに台湾干渉の政策をとらないと言明したが、同年6月の朝鮮戦争発生とともにアメリカ第7艦隊を台湾水域に派遣して台湾を防衛するという処置をとった。この処置は、北京政府の立場からは、中国の内政への干渉であり、中国領土の侵犯であるとされ、北京政府はソ連の援助をえて国連に抗議し、国連第5回総会は北京政府代表・伍修権の出席を求めてこの問題を討議した。しかしこれと前後して中国志願兵の朝鮮参戦問題が発生したので、アメリカ側は朝鮮問題の先議を優先を主張し、これに対して北京政府は朝鮮問題の平和的解決の前提として朝鮮・台湾からの米軍撤退を主張している。台湾の地位がこのように紛糾しているのは、その戦略的地位がアメリカによって重要視されているからで、台湾が北京政府の手に帰すれば、日本とフィリピンをつなぐ線が台湾で切断され、中国をその外部で包囲しようとするアメリカのアジア政策が破綻をきたすからである。(以下略)

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