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2007年9月14日 (金)

日本のビール王・馬越恭平

   明治32年の夏、次のような広告が新聞に現れた。

「恵比寿ビール、ビアホール開店。今般欧米の風に倣い、7月4日改正条約実施の吉辰を卜し、京橋区南金六町五番地(橋際)に於いて、ビール店(ビアホール)を開店し、常に新鮮なる樽ビールを氷室に貯蔵いたし置、最も高尚優美に一杯売仕候間、大方の諸彦賑々敷御光来恵比寿ビールの真味を御賞玩あらんことを願ふ。売価半リーテル金拾銭、四半リーテル金五銭 日本麦酒株式会社」

   明治32年8月4日の開店早々から大入り満員の盛況であった。このビアホールというアイデアを出したのは日本麦酒の社長・馬越恭平である。

   馬越恭平(1844-1933)は弘化元年、岡山県後月郡木之子村で生まれた。安政3年、大坂に出て、鴻池家の丁稚となる。明治6年上京して、井上馨の先取会社に入社し、三井物産の中心的な存在となる。明治維新以降、ビール会社は東京に日本麦酒(後のヱビスビール)、大阪に大阪麦酒(後のアサヒビール)、北海道に札幌麦酒(後のサッポロビール)が設立されていた。日本麦酒の社長であった馬越は恵比寿麦酒を話題にするため、ビアホールを思いついた。明治39年には、三社が合併して大日本麦酒株式会社となり、馬越は社長に就任した。馬越時代の大日本麦酒は発展を遂げ、市場シェアは79%に達し、「日本のビール王」といわれた。

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