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2007年9月13日 (木)

武者小路実篤の初恋

   二月のある晩のことだった。自分は兄と同じ室で机に向かって学校の本を読んでいた。九時ごろだった。不意に半鐘がなった。「火事だ」と兄とふたりで顔を見合わせて耳をすませているとスリ鐘だった。「火事は近い」「見にゆきましょう」ふたりは立って格子戸を開けて出た。そこにはお貞さんとお静さんが立っていて火事を見ていた。火の子が南のほうに盛んに見えた。「見にゆこう」と兄は自分に言って、「見にゆきませんか」とふたりに言った。

   お静さんもお貞さんも「ゆきましょう」と言った。自分はよろこんだ。そうして四人で火事を見に行った。自分は火事を見るよりもお貞さんのわきにいるのがうれしかった。自分たちは焼けている家の見える、ある軒の下に立って火事を見ていた。人々は走せちがった。火消しは興奮と権威を感じて働いていた。自分たちのいる前を長いポンプの管が走っていて、そのすきまから水がもれていた。

   自分たちは興奮しながらそれを見ていた。お貞さんやお静さんをふり向いて見る人もあった。自分は地上でいちばん美しい女といっしょにいることを自覚して誇りを感じた。火事はまもなく下火になった。兄が「帰ろうか」と言うので、もっといたかったけれども帰ることにした。半町ばかり来たところで自分はひとりの走けてゆく男に足をふまれた。「あ痛っ!」と言っているうちにその男は走けて行った。そうして自分の足の指からは血が流れていた。

    お静さんはそれを見つけた。お貞さんも「痛かなくって」と言った。お静さんは自分の半けちを出してそれを手早くさいた。そうして自分の傷した足の指を包帯しようとした。自分は「お貞さんがお静さんのようにしてくれたら」と思いながらお静さんにすまして包帯してもらっていた。兄は先にひとりで帰った。兄のひとりで帰る姿を見て、自分は自分の身にひきくらべてさびしいだろうと思って同情した。自分は包帯してもらってからそう痛くはなかったのだが、そこから自家までの往来が人通りのまるでない、暗い往来だったので、足をひきずりながらお静さんとお貞さんの肩に手をかけて歩いて帰った。自分は自分の負傷したことを幸福に思った。(武者小路実篤「初恋」)

                      *  *  *  *

   「初恋」は大正3年2月、29歳の作品。「初恋」のお貞、「お目出たき人」の月子、「ある日の夢」のたか子、とは志茂テイ(貞)である。明治33年4月、実篤15歳、テイ12歳。実篤は学習院中等科4年で、テイは下田歌子が創設した実践女学校に通っていた。明治36年、テイが学業をおえて帰郷するとともに、実篤の初恋も終わった。「初恋」という作品は、もちろん創作ではあるが、実篤15歳から18歳までの回想が素直に綴られている。学習院時代、不得意な学科は作文、体操、唱歌、そして図画だった。高等科になっても勉強はしなかった。明治39年7月いよいよ、実篤も学習院高等科を卒業することとなった。学習院高等科の卒業式は、成績の低い順から並んで式場に入っていく。実篤は最低から三番目の成績。だが、その先頭を歩くべき人が欠席してしまった。それがわかると次の二番目の友人は先頭は厭だといって、抜け出しそうになったので、実篤はいそいで引き止めた。やはり実篤も先頭はさけたかったのだ。それで先を行く友人を励まして、元気良く歩いたという。

   お貞さんに失恋したころから、実篤は聖書とトルストイを読み出した。一生の人生観が形づくられた頃である。

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