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2007年9月14日 (金)

愚陀仏庵と漱石の友人たち

   明治28年4月9日、愛媛県尋常中学校(松山中学校)の英語教師として夏目金之助は松山に赴任した。まず三番町の城戸屋旅館にて旅装をといたが、のち城山の麓の下宿愛松亭に落ち着いた。しかし、同年6月下旬頃、中堀貞五郎(正岡子規の妹律と結婚)の世話で、同市二番町八番戸の上野義方の離れ二階建てに転居した。二階が六畳と三畳、階下が六畳と四畳半で、窓から松山城の天守閣を近くに見る。漱石は子規の影響で愚陀または愚陀仏と号し、居宅を愚陀仏庵と名付けた。子規とは8月下旬から10月19日に上京するまで愚陀仏庵に同居した。漱石は毎晩のように子規につられて句作をするようになり、俳句結社「松風会」に参加し、柳原極堂、近藤我観らと知り合う。

    子規が去ったあと孤独になった漱石は、冬にかけて勉強に励む。午前二時まで勉強していた。松山中学を辞し、熊本五高へ転任となる明治29年4月11日頃まで、漱石は愚陀仏庵に居住していた。漱石の松山時代に子規が紹介した松山一のインテリ村上霽月(1869-1946)と出会う。霽月は明治2年生まれで漱石、子規より二歳下だった。明治29年3月1日には漱石は虚子とともに今出にある霽月の家を訪ねている。漱石が松山を去る4月某日、霽月邸を再び訪ねたがあいにく霽月は不在だった。

    逢はで去る 花に涙を 濺(そそげ)かし

                                              愚陀仏

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