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2007年8月 6日 (月)

風林火山「砥石崩れ」

    天文19年7月、武田信玄(市川亀治郎)は、信濃守護小笠原長時(今井朋彦)を破り、信濃府中を手中にした。信玄は余勢をかって小県に進出、村上義清(永島敏行)の出城である砥石城を攻めた。しかし9月朔日の戦で武田軍は敗北し、横田備中守高松を初めとして千人ばかりが戦死し、小山田信有(田辺誠一)も戦死し、有力な武将を失った武田軍は退却した。この武田軍の負け戦を「砥石崩れ」という。

   こののち信玄は真田幸隆(佐々木蔵之介)にこの城を攻撃させたが、村上義清は筑摩郡に入り、小笠原長時とともに、10月、平瀬城に進出、ここを拠点として深志城をおびやかした。信玄が甲府を出てここに向かうおうとすると、義清は転じて佐久郡の野沢・桜井などに放火し、信玄が佐久に進もうとすると義清はいち早く引き揚げて筑摩・安曇の武田属城を攻めるなど、内陸作戦の妙を発揮した。

   しかしさしもの要害堅固を誇った砥石城も、真田幸隆によって天文20年5月、落城させられると、小県郡の諸士は相次いで武田方につき、村上義清の威勢も衰えてきた。天文21年には苅屋原・塔原の諸城が陥り、ついに小笠原長時は越後の長尾景虎のもとに走った。

   NHK大河ドラマ風林火山では、上田原の合戦で板垣信方(千葉真一)、甘利虎泰(竜雷太)の壮絶な討死場面を描いたが、この砥石崩れで殿(しんがり)をつとめた武田二十四将の一人、横田高松の戦死シーンはあるのだろうか。(参考:「日本の合戦3」新人物往来社)

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