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2007年8月27日 (月)

昭和平成の政治と閨閥

    近衛文麿と吉田茂はどちらが早くに生まれたか。戦前の近衛、戦後の吉田、ということで近衛文麿が年長のような気がする。ところが、近衛文麿は明治24年生まれで、吉田茂は明治11年生まれ。吉田茂が13歳も年上である。それは、昭和20年の近衛文麿の服毒自殺は記憶にないが、昭和42年の吉田茂の国葬を記憶しているせいかも知れない。

   ところで、近衛文麿といえば、「英米本位の平和主義を排す」という大正7年の論文があり、後年の東亜新秩序への方向を示したといわれる。一方の吉田茂は戦後の講和条約・日米安全保障条約で知られる政治家であろう。対極ともいえる二人の昭和の政治家が平成の政治家の存在で結びつこうとしている。本日にでも自民党の幹事長に就任されるであろう麻生太郎である。よく知られるように麻生太郎の祖父は吉田茂である。近衛忠煇(近衛文麿の孫)の妻は三笠宮寗子。ヒゲの殿下・三笠宮寛仁の妻は麻生太郎の姉の信子。つまり、麻生太郎は三笠宮家を通じて、近衛文麿と吉田茂という戦前・戦後の政治家の流れを体現する人物である。安倍首相のスローガンであった「戦後からの脱却」は、麻生太郎の幹事長起用を閨閥からみると、戦中・戦後政治の継承というべきものである。

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