ウジェニー皇后
ウジェニー・モンティホ(1826-1920)はスペイン貴族の娘で、ルイ・ナポレオン(ナポレオンの弟の子)と結婚し、ボナパルト家再興をめざし、宮廷を女性として支え、19世紀のパリをモードの中心地にした立役者である。また彼女はデバ伯爵と呼ばれる。
「ウジェニー」は仏語で、スペインでは「デバ伯ユージェニー」と呼ばれる。ウジェニーは、1826年5月5日にスペインのグラナダに生まれた。父はモンティホ伯爵ドン・シプリアーノ・モンティホ、母はドニア・マヌエラ・カークパトリック。母のマヌエラはマラガ領事を勤めたアメリカ人(もとはスコットランド商人)の娘。次女。
ウジェニー・モンティホはパリ滞在中の26歳の時、ルイ・ナポレオン(1852年、皇帝に即位してナポレオン3世となる)に見初められた。1853年1月30日、ノートル・ダムで2人は結婚し、ウジェニーはスペイン人でフランス皇后となった。1856年には長男ナポレオン・ルイ・ユージェーヌ・ジャン・ジョゼフ(1856-1879)を出産した。しかしナポレオン3世は1870年、普仏戦争に敗北して、3年後に死ぬ。ウジェニー皇后は子供ルイにボナパルト家再興の夢をたくしたが、1879年、ルイは南アフリカで戦死する。皇太子死後、ウジェニーは死ぬまで喪服以外に身につけなかった。40年もの長きにわたり孤独な余生を送ったウジェニーは、1920年7月11日、バルセロナで風邪がもとで亡くなった。
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