「人民寺院」集団自殺の謎
ジェームズ・ウォレン・ジョーンズ(1931-1978)は、1931年5月13日、インディアナ州の郊外で生まれた。KKKの一員だった父親は彼が12歳の時に家族を捨て、以後、母親の手で育てられた。12歳の時にはじめて説教をした。1947年に宣教師の娘マーセリン・ボールドウィンと結婚。1957年にインディアナポリスで宗教団体「人民寺院」を設立。1965年、信者140人とカリフォルニア州ユキアに移る。1970年、サンフランシスコに移る。1977年、約1000人が南米ガイアナへ移る。そこでジョーンズ・タウンを建設し、信者は2500人になっていた。元信者であったグレース・ストーンが教団の実態を告発したのをきっかけに、マスコミがジム・ジョーンズを非難しはじめた。1978年11月14日、実態調査のため議員レオ・ライアンらが現地を訪れた。そして、現地を後にしようとした時、信者が急に発砲、議員ら5人が殺害された。
1978年11月18日、追いつめられたジョーンズは、会衆たちに儀式的な集団自殺「白い夜」を命じた。信者は、桶にシアン化合物を加えた飲料を規律正しく飲んだ。916人の信者(うち200人ほどは子供)が彼の周りで死に、ジョーンズは頭を撃って死んだ。当時ジョーンズタウンにいたのは約1100人ほどだったので180人以上は生存者がいることになる。カルト宗教の集団自殺として最悪の事件である。
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