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2007年8月27日 (月)

陸奥宗光の令嬢・陸奥清子

    陸奥宗光(1844-1892)には亮子夫人という明治を代表するような美人がいることはよく知られている。しかし娘の清子(さやこ)が亮子の子であるのか、前妻の蓮子の子であるのは、諸書により異なる。

   陸奥宗光は幕末のころ陸奥陽之助と名のり、坂本龍馬の海援隊に属していた。維新後も土佐人脈によって栄達した。その土佐人が西郷隆盛の反乱に呼応して薩長の政府を倒そうと画策し、陸奥も反乱を企てたとして、山形の監獄に、ついで宮城の監獄に入れられた。山県有朋内閣の農商務相などを経て、伊藤博文内閣の外相となり、イギリスとの条約改正を実現、日清戦争の下関条約には全権として主席した。

   陸奥宗光には前妻の吹田蓮子(ふきたれんこ、陸奥蓮子)との間に三人の子がいる。長男・陸奥広吉(外交官、1869-1942)、二男・陸奥潤吉(古河市兵衛の養子・古河潤吉、1870-1905)、長女・陸奥清子(むつさやこ、1871-1893)。

    明治5年2月11日、蓮子が病死し、翌年、新橋柏屋の芸妓・小鈴(小兼)と結婚する。本名・金田亮子といい、没落した幕臣の娘だった。亮子17歳、宗光29歳。

    若くして死んだ陸奥清子であるが、誕生年が明治4年説と明治6年説がある。明治6年説では、後妻の陸奥亮子が18歳のとき産んだ子としている。明治4年説では前妻の蓮子の子としている。かつてドラマ「明治の群像」(昭和51年、江藤淳原作)で女優山口智子(NHK連続テレビ小説のヒロインとは別人か)が陸奥清子を演じたことがあるらしいが、若くして病死したので詳しい資料があまり残っていないらしい。もし陸奥亮子の娘であればさぞや美しいかったであろう。前妻の蓮子も大阪の難波新地の芸妓だったので美しかったであろう。ただ蓮子は病弱だったので、もしかしたら清子を産んで死んだのかもしれない。

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