いずれ菖蒲か杜若
鳥羽院の女官に菖蒲前(あやめのまえ)という美人がおり、源頼政(1104-1180)は一目ぼれをする。頼政は菖蒲前に手紙を送るが、返事はなかった。そうこうしているうちに3年がたってしまい、二人の関係が鳥羽院に知られてしまう。
ある時、頼政が鵺という怪物を退治して手柄をたてた。鳥羽院は頼政を呼びだして、褒美に何がいいかたずねると、菖蒲前を妻にもらいたいという。上皇は本当に菖蒲前が好きか試してみようと考えた。
宮中の女官の選りすぐりの美女12人に厚化粧をさせて、その中から菖蒲前を選ばせた。もし間違えれば、菖蒲前をえることができず、末代までの笑いものになってしまう。困り果てた頼政はとっさにつぎの歌を詠んだ。
五月雨に 沢辺の真菰 水こえて
いづれあやめと 引きぞ煩ふ
鳥羽院はこれに感心し、菖蒲前を頼政に引き渡した。
この故事から、「いずれ菖蒲と引きぞ煩ふ」という句が広まり、「いずれ菖蒲か杜若」の語源となったといわれる。
頼政はその後、以仁王と結んで平家打倒を計画したが、宇治平等院の戦いで敗北し、自害した。享年77歳。菖蒲前は種若丸をつれて、乳母と猪野隼太らに守られて、舟で安芸の国に落ち延びた。菖蒲前伝説など各地に残っている。しかし、源頼政がかなりの高齢だったようなので、若い女官・菖蒲前とのロマンスが本当にあったのだろうか。(「源平盛衰記」)
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