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2007年8月22日 (水)

長尾為景とゴッホ

    NHK大河ドラマ「風林火山」を楽しみに見ているが、いよいよドラマは川中島の戦いへとクライマックスに向かう。ところで過去にも大河ドラマでは「天と地と」「武田信玄」などがあったので、その配役の変遷を調べてみるのも興味深い。昭和44年の海音寺潮五郎原作の「天と地と」は石坂浩二(上杉謙信)、高橋幸治(武田信玄)であったが、滝沢修、宇野重吉、樫山文枝と民藝の看板スターが総出演している。とくに重厚、緻密な芸風で知られる「新劇の神様」滝沢修は、お茶の間のテレビではすこし近寄り難い印象があるが、意外に気さくな面もあったらしい。「天と地と」の配役は、上杉謙信の父・長尾為景の役であるが、これには次のようなエピソードがある。滝沢修は女優の新珠三千代のファンぶりは知られていた。これを知ったNHK側は、滝沢を担ぎ出すため、新珠三千代を妻の袈裟(のちの青岩院)とし、共演話をもってきたという。新珠さんのファンは、松本清張はじめ学者や文化人にも多いので、真実味のある話であろう。

   滝沢修(1906-2000)は、明治39年11月13日、東京に生まれた。大正13年に築地小劇場に入団し、翌年「ジュリアス・シーザー」で初舞台。左翼劇場をへて、昭和9年、新協劇団の結成に参加し、「夜明け前」の青山半蔵、「火山灰地」の雨宮聡などの名演技で名を知られたが、治安維持法違反により昭和15年8月から昭和16年12月に巣鴨拘置所に投獄された。戦後、久保栄、森雅之らと東京芸術劇場を結成。昭和22年、民衆芸術劇場(第一次民芸)を宇野重吉らと結成。昭和25年、滝沢修、清水将夫、宇野重吉らによって民芸が結成され、翌年、三好十郎作、岡倉士郎、村山知義演出で「炎の人」が初演された。ゴッホはもちろん滝沢修であるが、現在も大滝秀治で上演されている。初演の配役は、ゴーギャンを清水将夫、タンギーを宇野重吉、シーンを細川ちか子。昭和44年の再演は、テオを内藤武敏、ロートレックを山内明、ゴーギャンを清水将夫、アルルの踊子を有馬稲子。昭和51年の時は、ゴーギャンを芦田伸介、テオを伊藤孝雄、タンギーを内藤安彦、シーンを仙北谷和子。近年の大滝ゴッホでは、ゴーギャンを岩下浩、ロートレックを横島亘、ベルナールを千葉茂則、ポール・シニャックを矢野勇生、タンギーを水谷貞雄だった。先ごろ亡くなられた南風洋子さん(1930-2007)はベルト・モリゾの役だった。

   滝沢は10歳ころから鶴田吾郎(1890-1969)という有名な画家について油絵を習ったそうで、実際に油絵とカメラは相当な腕前である。戦前にステファン・ポラチェックの「焔と色」(牧野書店、昭和16年)という小説を式場隆三郎の訳で読んで感動した。これを劇化したいという思いはすでにその時から芽生えていた。ともかく滝沢・ゴッホは、その豊かな演技力によって、見る人に強烈な感動を与える歴史的名演技となった。

    因みに初演で宇野重吉が演じたタンギー爺さんというのは、ジュリアン・フランソワ・タンギー(1825-1894)のことで、パリのモンマルトルの画材兼画商。当時さっぱり売れなかったゴッホらの絵を買って画材の代金として、印象派の画家たちを支援していた。ゴッホの名画によって、人のよさそうな爺さんとして永遠に人々に愛され親しまれ続けている。

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