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2007年7月15日 (日)

正木退蔵とスチーブンソン

    正木退蔵(1846-1896)。明治の化学者、教育者。弘化3年、正木治右衛門の三男として萩に生まれる。安政5年、13歳の時に松下村塾に入門。元治元年、世子公の小姓役に挙げられ、干城隊士としてし出征したが、維新後は留学生に選ばれ明治4年から7年までイギリスで学んだ。2年後の明治9年、東京帝国大学の外人雇い教師を探すために再びイギリスに留学。このとき「宝島」で知られる作家スチーブンソン(当時28歳)に出会って、松陰の思い出を語った。明治13年、スチーブンソンはイギリスの雑誌に「ヨシダ・トラジロウ」を掲載した。文章は16ページしかないが、松陰の誕生から処刑までを紹介し、「生命を生き生きさせてくれる日本の英雄」であり「その名は、ガリバルディやジョン・ブラウンの名と同じように、人口に膾炙されている名前になるべきだと思っている」と書いている。

    正木退蔵は帰国後、東京職工学校(現・東京工業大学)初代校長に任ぜられ、後外務省に奉職、明治24年ハワイ総領事に任ぜられた。明治26年官界を退き、明治29年死去、享年59歳。

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