修道院運動
修道院は東方オリエントに起源を有するが、ローマ・カトリック教会が世俗的権力を有するにつれて、原始キリスト教の純粋性を失っていったので、6世紀にヌルシアのベネディクトゥス(480?-543)は、529年、モンテカシノにベネディクトゥス派修道院(モンテカシノ修道院)を設立した。「ベネディクトゥス戒律書」が、のちの多くの修道院の戒律の基本となった。それによれば、清貧、貞潔、従順の三つの誓いおよび所属の修道院に一生を送ることの誓いが立てられ、日ごとに規律正しい祈祷と瞑想と勤労の義務が課せられた。「祈り、働け」の精神のもとに、最初は農耕のような肉体労働であったが、のちに写本、読書などの学問も推奨された。
10、11世紀にはクリュニュー修道院(910年設立)を中心とする改革運動が全西欧に拡大するようになった。改革運動で知られるグレゴリウス7世(在位1073-1085)、ウルバヌス2世(1088-1099)はいずれもクリュニー改革運動の具現者とみることができる。しかしクリュニー派もしだいに俗化していった。
その後、修道院の世俗化に反対する改革運動は、12世紀にクレールヴォーの母修道院を中心とする聖ベルナールのシトー派修道会(1098年設立)、13世紀前半にアッシジのフランチェスコ(1182-1226)とスペインのドメニコ(1170-1221)による托鉢修道会などにおいてみられたが、これらもまた、その規模を拡大するにつれて、世俗化せざるをえなかった。十字軍を契機として12世紀に出現した、フランスのテンプル騎士団、ドイツのドイツ騎士団、イタリアのヨハネ騎士団などの騎士修道会もまた同様であった。キリスト教武装集団、テンプル騎士団は、武勇と財力ともに秀でていることで知られる。彼らの存在は、初期十字軍の成功とは切っても切り離せない。しかし、騎士団内部で秘密の儀式が行われているという噂が疑惑を招くる1307年、テンプル騎士団に多額の借金があったフランスのフィリップ4世は、彼らが異端のペテン師でみだらな行為を行っていると訴えられる。その責めを受けて、騎士団のリーダーたちは火あぶりの刑に処せられた。
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