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2007年7月 7日 (土)

教皇は太陽、皇帝は月

   1095年、教皇ウルバヌス2世のクレルモン公会議の召集と、翌年の第一次十字軍の出発以来、教皇権の勢威が日増しに高まっていった。

   教皇権の最盛期はインノケンティウス3世(イノセント3世、在位1198-1216)の時代であった。かれはドイツ系のイタリアの貴族であり、教皇の指導の下に単一の共同体としてのキリスト教世界を樹立することを志していた。

   彼は、神聖ローマ皇帝の選挙に干渉して、シュタウフェル家の候補者を退け、オットー4世を支持した。またフランス王フィリップ2世の離婚問題に干渉して王を破門にした。イギリス王ジョンをもカンタベリー大司教任命問題をめぐって破門にし、乞いを入れて王を封臣とした。このほか、アラゴン、ブルガリア、デンマーク、ハンガリー、ポーランド、ポルトガル、セルビアの君主に封建家臣として臣従の誓いをさせた。イノケンティウス3世時代には、「教皇は太陽、皇帝は月」といった考えが優勢になる。太陽の前で月が光を失うように、皇帝権は教皇権にかなわないというのである。

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