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2007年7月 7日 (土)

アナーニ事件とアヴィニョン捕囚

    フランスでは、カペー朝(987-1328)において典型的な封建社会が成立した。ルイ9世(在位1180-1223)は、法による平和を基調とした安定した政治により、パリが中世末期の中心的地位を占めるようになった。ローマはアナーニ事件、アヴィニョン遷座でその中心的地位が低下していく。

   フランスの王権をさらに強めたのが、フィリップ4世(在位1285-1314)である。彼は相次ぐ戦争による莫大な出資に対処するため、テンプル騎士団を解散させ、所領・財産を没収した。また、聖職者への課税を強行したことから、教皇ボニファティウス8世(在位1294-1303)との衝突が生じた。1302年、彼はパリに聖職者・貴族・市民の代表からなる全国三部会を創設して教皇に対抗した。そして1303年、国王のレジスト、ギヨーム・ド・ノガレ(1260-1313)はイタリアに赴き、教皇反対派のシアラ・コロンナと相呼応して、教皇をローマ郊外のアナーニに襲って捕えた。教皇はその後まもなく釈放されローマに帰還したが、まもなく憤死した。(アナーニ事件)ノガレはコロンナの行動が過激であったため民衆の反感を買い失敗、フランスに帰国。

   その後、教皇クレメンス5世(在位1305-1314)は政情不安なローマを嫌い、教皇庁を南フランスのアヴィニョンに遷居した。以後グレゴリウス11世まで7代約70年間にわたり、教皇はフランス王の監視下におかれる状態であった。これを「教皇のアヴィニョン捕囚」(1309-1377)という。グレゴリウス11世は1377年にローマに帰ったが、その翌年同教皇が死んでからローマとアヴィニョンに2人の教皇が分立しシスマ(教会大分裂、1378-1417)が起こり、教皇の権威は失墜した。

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