ダビデ王とバルジライ
イスラエルの王ダビデにはアブサロムという美しい王子がいた。アブサロムは密かに兵を集めて反乱を起こした。不意をつかれたダビデ王はヨルダン川の向こう岸にあるマハナイムへと逃れた。
ダビデ王の苦難の時、王にいろいろと世話をしたのがバルジライという80歳の老人であった。バルジライは非常に富んでいたので、マハナイムにいる王を養い、兵隊たちの食糧もすべて用意した。やがでダビデ王は反撃にでて、アブサロムをエフライムの森の戦いで破る。王は「アブサロムを殺さないように」と命じたが、樫の木に吊り下げられたアブサロムは兵士たちによって串刺しにされ殺された。ダビデはこのことを知らされ身を震わせて泣いた。「アブサロムよ、わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ」
やがでダビデ王はエルサレムへ帰還することになった。王はバルジライに言った。「わたしと共に都に来てくれないか」バルジライは王に答えた。「わたしはもう八十歳になります。善悪の区別も知りません。この僕は何を食べ何を飲んでも味がなく、男女の歌い手の声も聞えないのです。どうしてこのうえ主君の重荷になれましょう」と丁重に断わった。そして「むしろ自分の息子キムハムがついて王のお役に立ちましょう」と言った。王はそれを受け入れキムハムをつれて都へもどった。(サムエル記)
高齢化時代といえども、老齢ゆえの限界はある。「いつかは来たる老いの道」たとえば、日常的な例で言うと、いつ自転車や自動車を運転することをやめるか。人間である以上、必ず個々の判断が迫られる時が来る。バルジライは「自分の限界を知っていた人」といわれる。高齢化時代、老齢ゆえの限界はある。地位や名声のみを重視して、自分の能力の限界を見誤ることのないよう自分に戒めよう。旧約聖書に記されたバルジライの話によって、現実的な見方と慎み深い態度は神への関心事を最優先させるという立派な模範となるであろう。(参考:ものみの塔2007.7.15)
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