15世紀の異端運動
15世紀にはいると、教会の中心は、ピサ(1409年)、コンスタンツ(1414-1418)、バーゼル(1431-1449)などの公会議が開かれて教会改革が議せられるようになった。そして、この過程において、フランスのアルビジョア派、イギリスのジョン・ウイクリフ(1320?-1384)、ベーメンのフス(1369?-1415)、フィレンツェのサヴォナローラ(1451-1498)などがカトリックの教義を批判し、かつ教会改革の運動に乗り出しし、宗教界は大いに混乱した。皇帝ジギスムント(在位1411-1437)はコンスタンツに公会議を召集し、教会の統一、異端問題の処理などを議し、その結果、公会議の最高主権が確認され、ローマの大分裂を終わらせ、かつフスの説を異端として彼を火刑に処した。このため混乱は一応おさまったが、ベーメンの民衆はフスを殉教者と仰いで反乱をおこし(フシーテン運動)、カトリック側と対抗した。フス戦争は20年余り続き(1419-1436)、結局カトリック側の譲歩によって終わった。こうしたウィクリフやフスの思想と行動は、のちの宗教改革の先駆となった。
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