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2007年6月23日 (土)

謎のジャズ曲「アラビアの唄」

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  砂漠に日が落ちて 夜となる頃

  恋人よ 懐かしい

  唄をうたおうよ

  あの淋しい 調べに

  今日も 涙 流そう

  恋人よ アラビアの

  唄をうたおうよ

    ケペルの父は昭和の初め、浅草の宝亭という店でコックをしていた。そのころ、カジノ・フォリーで榎本健一と二村定一をよくみたといっていた。カジノをもじって「タバコの火が落ちて、火事となる頃」という替え歌がはやった。ところでエノケンは日本の喜劇王だが、現在、二村定一の名を知る人は少ない。流行歌手第一号といってもいいだろう。

    二村定一(1900-1942)。本名・林貞一、愛称・べーちゃん。明治33年6月13日、下関市中之町で、料亭を営む二村貞衛、林トキの長男として生まれる。大正4年、大阪薬学校に進学したが、宝塚少女歌劇に傾倒したため、中退。大正9年、浅草金龍館で根岸歌劇団の高田雅夫に弟子入り。大正末年には森歌劇団、五彩会歌劇団、草玉木座で佐々紅華のオペレッタに出演。大正14年「ジャズ・ソング」、昭和3年「アラビアの唄」「青空」が大ヒット。

    この「アラビアの唄」はアメリカではほとんど知られていない曲である。昭和2年、アメリカから帰国した堀内敬三(1897-1983)がフレッド・フィッシャー(1875-1942)の曲に訳詩をつけて楽譜を出版した。同年、二村定一が浅草オペラで歌い、のち天野喜久代とデュエットのレコードを発売。フィッシャーは「ダーダネラ」「シカゴ」などのスタンダードを残した有名な音楽家であるが、ジャズであるかは疑問。また「アラビアの唄」もジャズであるか疑問がある。当時、アメリカの新曲であれば、即ジャズと考んがえられていたようだ。二村はやがてディック・ミネなどの登場によって人気は下降する。しかし「アラビアの唄」のもの哀しいメロディーは浅草オペラを代表する名曲として記憶にのこるであろう。

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「音楽」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。ネットサーフィンをしているとき、偶然貴記事に遭遇しました。初めてコメントをさせていただきます。

二村定一の「アラビアの唄」は、かつて私が20代の頃、レコードショップで偶然手に入れた「日本のポップス」を収録した音楽テープの中に入っていたのを当時持っていたウォークマンで聴いたのが初めての出会いです。

ユーモラスでいて、何処か哀愁を漂わせていた二村の歌声は、聴くたびに昭和モダンといわれている80余年前のセピアなムードに浸らせてくれます。

はじめまして!

私もネットサーフィン中に立ち寄らせて頂きました。

東京都内で音楽を生業にしている27歳の若輩者ですが、最近「アラビアの唄」のカヴァー製作をはじめています。

「タバコの火が落ちて、火事となる頃」

の替え歌のお話非常に興味深いです。宜しければ覚えていらっしゃる範囲で結構なので、替え歌の全歌詞をお教え願えないでしょうか。

メールアドレスをお送りしたので、宜しければお返事頂ければ幸いです。

ごめんなさい。明治生まれの親父の時代の古い替え歌なので全歌詞はわかりません。浅草カジノ・フォリーでは外国の曲に適当な日本語の歌詞をつけていたものが多いようです。フニクリ・フニクラの曲の替え歌で「♪とな~り横丁で待つ頃は~小雨がシトシト」とか、「ダイナ」の替え歌で「♪ダンナおごって頂戴な、飲ませて頂戴な、たんとは飲まない、ね、いいでしょ、ダンナ盃頂戴な~」てな調子です。飲めや歌え、まさに古き良き時代ですね。

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