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2007年6月 1日 (金)

お染久松、浄瑠璃と歌舞伎

    鏑木清方(1878-1972)の日本画「野崎村」(大正2年作)は「近代日本画家が描いた歴史とロマンの女性美展」(朝日新聞社、1989)の図録表紙に使われている。お染の顔の表情、しぐさもが自然で近代美人画の特徴を代表する作品であろう。

    近松半二の浄瑠璃「新版歌祭文」(安永9年)では久松は武士の倅で油屋に奉公してお染と契り、お染は五つ月の身重となるが、山家屋へ嫁入りの日が迫り、お染の母はこれを苦慮している。久松の父が久松に意見し、種々奔走するが、結局久松は蔵の中、お染は蔵の外で自害する。鏑木の絵では「あんまり逢いたさ、なつかしさ、勿たいないことながら観音さまにかこつけに、逢いに北やら南やら、知らぬ在所を厭ひもせず」と語る野崎まいりの帰りのお染の姿を描く。

    4世鶴屋南北(1755-1829)の「お染久松色読販」(1813)では筋は大きく異なりラストはハッピーエンドである。千葉の家臣石津久之進はお家の重宝吉光の刀を盗まれた落度で切腹、その子久松は乳母の倅の百姓久作に弟として引取られ、刀の詮議のため、質屋をしている瓦町の油屋に丁稚奉公し、油屋の娘お染と深い仲になる。刀の盗み人鈴木弥忠太は遊里の女お糸に入揚げ、もと若党であった鬼門の喜兵衛をして刀と折紙とを油屋に質入れさせるが、その金は喜兵衛に着服されてしまう。番頭善六は、お糸に惚れている油屋の息子多三郎をそそのかして折紙を持出させ、多三郎を追出し、お染と夫婦になって油屋の身代を継ごうとするが、そのたくらみを丁稚久太郎に知られたので金を与えて久太郎を逐電させ、折紙を久作の嫁菜の苞に隠す。それが原因の誤解から、久作は油屋下男九介に殴られ、油屋の縁者松本佐四郎の仲裁で膏薬代と質流れの袷を貰う。この話を聞いた喜兵衛とお六の夫婦は、その袷と行倒れの死骸を種に油屋をゆすることを思いつく。喜兵衛とお六は油屋に死骸を持込み、弟が油屋の者に殺されたと言って金をゆするが、そこへ死んだはずの久作が現われた上に、お染の許婚山家屋清兵衛のはからいで死人が蘇生するので、ゆすりそこなって帰る。死人は河豚に当たった久太郎であった。その夜喜兵衛は油屋の蔵から吉光の刀を盗み出すが、久松はこれを殺して刀を取返し、家出したお染の跡を追う。隅田堤で久松はお染に追付き、折紙も手に入ってめでたく幕となる。(参考:「日本古典文学大系54 歌舞伎脚本集下」岩波書店)

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