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2007年5月23日 (水)

武田信玄と村上義清

   村上義清(1501-1573)は戦国時代の信濃の武将。永正14年に父・村上顕国より信濃埴科郡葛尾城を譲られ、永正17年に病没した父の後を受けて当主となった。大永2年、武田信虎と戦ってこれを撃退する。以後、天文年間にしばしば村上義清と武田信玄とは戦うことになった。天文12年(1543)9月、武田信玄は佐久郡から小県郡に入り、大井貞隆の長窪城(小県郡長門町)を陥落した。天文15年5月、内山城を攻略して大井貞清を降伏させた。佐久の群小氏族が下るなかに、ひとり志賀城による笠原清繁だけは上野国の援軍を頼んで信玄に従わなかった。天文16年7月、信玄は志賀城を包囲、8月の小田井原の合戦に笠原救援の上州勢を敗走させ、討ち取った首級を城の周囲にかけ並べたので、さすがの城兵も意気阻喪し、ついに城主笠原以下三百余人が戦死し、城は悲惨な落城となった。天文17年2月、信玄は小県南部に侵入し、村上義清(1501-1573)と戦う。武田勢は上田原に陣して千曲川をさしはさんで村上の軍と対峙した。両軍入り乱れての乱戦となったが、遠来の武田軍は苦戦におちいり、板垣信方、甘利虎泰、才間河内守などの部将を失った。上田原の戦いは信玄の敗戦となったが、天文22年、ついに村上義清の葛尾城を落とした。義清は越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼って亡命した。ここに武田・上杉両氏が川中島において戦われることになったのである。

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